内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界漫遊記:ティミショアラ(後篇)
2009-07-25 Sat 14:37
 『キュリオマガジン』2009年8月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫遊記」は、前回に続き、1989年のルーマニア民主革命の発祥の地・ティミショアラを取り上げました。その記事のなかから、今日は、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)

 ティミショアラ事件記念印   ティミショアラ・Vサイン

 これは、民主革命の直後に発行された記念切手に、革命の発端となったティミショアラ事件1ヶ月の記念印を押したものです。ティミショアラでは、このVサインとよく似たマークを所々で見かけましたが、その一つとして、自由広場西側の軍の施設の前に並べられた75ミリ砲にペイントされていたのが右側の画像です。ちなみに、雑誌ではスペースの関係で割愛しましたが、75ミリ砲の全体像は下の画像のようになっています。

 ティミショアラ軍施設前

 1989年のルーマニア革命は、同年12月16日、チャウシェスク政権がハンガリー系の牧師で人権活動家のラースロー・テケシュをティミショアラから追放しようとしたことに反発した住民が、これを阻止しようとして教会を取り囲み、出動した治安警察部隊と衝突したことから始まりました。

 住民の抗議行動に対して、チャウシェスク政権は「党の建物に侵入した者を生きたまま帰すな」と厳命。内務省秘密警察、国境警備隊、治安警察の応援部隊が市内中心部のオペラ劇場付近に集まっていた市民たちに対して自動小銃や装甲車の車載銃などで発砲し、多数の死傷者が発生しました。こうして、“暴徒”を鎮圧したチャウシェスクでしたが、治安部隊の発砲によりティミショアラで多数の犠牲者が出たという情報は、ただちにVOA(アメリカの声)などによって全世界に伝えられるとともに、口コミでルーマニア国内を駆け巡り、アラド、シビウ、クルージュなどでも暴動が発生。19日にはルーマニア全土に非常事態宣言が布告されることになります。

 当初チャウシェスクの命令に従って“暴徒”を鎮圧していた国軍でしたが、「国軍の中に“暴徒”の抹殺を躊躇する者があれば容赦なく発砲せよ」とのチャウシェスクの理不尽な命令を受けた国防相のミレアは、これに反発し、「私も軍だ。したがって私は軍を撃つ」と叫んで短銃自殺を遂げます。以後、国軍は革命側につき、国軍の支持を失ったチャウシェスクは翌21日にブカレストで開催した官製集会で国民から引導を渡されることになるのです。
 
 今回の記事では、そうした革命の史跡に加え、かつてのハプスブルク帝国の栄華を思わせる旧市街の町並みなどをご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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