内藤陽介 Yosuke NAITO
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 秋芳洞公開100年
2009-07-26 Sun 16:59
 山口県美祢市の特別天然記念物「秋芳洞」が観光客に公開されて100年を迎えることを記念し、ライトアップイベント「光響ファンタジー・水と大地の神秘」がきのう(25日)から始まったのだそうです。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

 秋芳洞

 これは、1959年3月16日に発行された「秋吉台国定公園」の切手のうち秋芳洞の黄金柱を取り上げた1枚です。

 秋芳洞は総延長は8790m(日本第3位、鍾乳洞としては東洋最大規模)の鍾乳洞で、洞口に瀧があるために古くから“瀧穴”と呼ばれており、魔物がすむと地元の人々から恐れられていました。

 1354年、秋吉台のふもとにある自住寺の住職・大洞寿円は旱魃から村を救うために雨乞いを行うことを決意。37日もの間、瀧穴にこもって断食、座禅をしながら経をあげ続けました。この結果、雨が降り始めましたが、寿円本人は自住寺近くの川で水死体で発見されました。仏に感謝して滝穴の竜ケ淵に入水したとも、洞くつ内にあふれた水で溺れて亡くなったともいわれています。

 その後も、瀧穴には雨乞いのときにしか近づく人がいない時代が長く続きましたが、1904年、美東町の大田鉱山を経営するために来県した鉱山技師の梅原文次郎が瀧穴に興味を持ち、英国王立地学協会会員にして山口高等商業学校の英語教師だったエドワード・ガントレットや、広島高等師範学校教授の中目覚に学術調査を依頼。その結果、瀧穴が世界に誇る鍾乳洞であることが確認されました。これを受けて、梅原は観光客用に洞内の設備を整えるとともに、全国規模で大々的な宣伝を行い、1909年、瀧穴開窟式を行いました。これが、観光地としての秋芳洞の出発点になります。

 なお、その後も長らくこの洞窟は“瀧穴”と呼ばれていましたが、1926年、摂政宮(後の昭和天皇)の行啓を機に、現在の秋芳洞と改名されています。

 今回ご紹介の切手は、50年前の“秋芳洞50年”というタイミングで発行されたものですが、切手全体の色使いや、親子3人と思しき観光客の姿などが、なんとも時代を感じさせる1枚で、自然とほのぼのとした気分になりますな。

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