内藤陽介 Yosuke NAITO
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 第二次欧州大戦70年
2009-09-01 Tue 13:32
 1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻し、第二次欧州大戦が勃発してからきょうでちょうど70年です。というわけで、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 欧州大戦開戦返戻カバー

 これは、ドイツ軍がポーランドに侵攻した1939年9月1日にロンドンからドイツ宛てに差し出されたものの、郵便業務が停止されたため、差出人戻しとなったカバーです。

 1935年にヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して再軍備を宣言したドイツは、1936年3月にはヴェルサイユ条約で軍隊の駐留が禁止されていたラインラント地方に軍隊を進駐させたのを皮切りに、1938年3月にはオーストリアを併合。 同年9月にはミュンヘン会談でチェコスロヴァキアのズデーテン地方の獲得を英仏に呑ませ、翌1939年3月にはプラハを占領し、チェコを保護国とし、リトアニアからメーメル地方を割譲させています。

 こうした経緯を踏まえて実行に移されたドイツ軍のポーランド侵攻に対して、英仏両国は、9月3日、ポーランドとの援助協約に基づきドイツに宣戦布告しましたが、この時点ではポーランドに派兵してドイツ軍と戦ってはいません。また、9月17日には、ソ連が独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき、9月17日、ポーランドへ東から侵攻しましたが、英仏両国はソ連に対しては宣戦布告をしていません。

 ところで、イギリスはポーランドとの条約上、ドイツに対して宣戦布告をしたものの、「宣戦布告が即戦闘を意味するわけではない」として、早々にドイツとの和平交渉を開始しています。この時点でのイギリス政府内ではナチス・ドイツよりもソ連の共産主義の方が深刻な脅威であるとの考え方が支配的で、イギリス側はヒトラーが下野し、ドイツがポーランドならびにズデーテン地方を除くチェコスロヴァキアから撤退すれば、和平に応じる用意があるとしていました。このため、クリスマスまでには停戦だろうと楽観視するイギリス国民も少なくなかったようです。

 しかし、最終的にはヒトラーの排除という一点で両者の妥協は成立せず、さらに、反ナチス強硬派のチャーチルが熾烈な権力闘争の末に権力を掌握したことで、両国の亀裂は修復不能となり、1940年5月以降、ドイツ軍が西欧諸国に本格的に侵攻していくことになります。

 ドイツ軍のポーランド侵攻は、イギリス・チェンバレン政権時代の対独宥和政策が、結果的にドイツの拡大を追認し、ドイツをつけあがらせたことが最大の原因です。実際、ヒトラーは、以前から宥和政策を実施し、反共産主義という点で利害が一致していた英仏両国が宣戦布告してくるとは想定していなかったといわれています。

 古今東西を問わず、国家間の関係では、とにかく相手になめられてはいけないのが鉄則であることは、いまさら言うまでもありません。“友愛”というスローガンを掲げて近々発足する予定の新政権は、70年前の欧州の教訓をどう考えているのか、お考えをうかがってみたいものです。

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