内藤陽介 Yosuke NAITO
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 前島密生誕175年
2010-02-04 Thu 10:22
 日本の“郵便の父”と称される前島密が1835年2月4日(天保6年1月7日)に生まれてから、きょうでちょうど175年です。というわけで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      前島密150年

 これは、1985年6月5日に発行された「前島密150年」の記念切手で、三代広重による「駅逓寮」の絵を背景に前島の肖像が配されています。

 前島密は、1835年2月4日、越後国頸城郡津有村下池部(現・新潟県上越市)の豪農、上野助右衛門の2男として生まれました。幼名は房五郎です。

 江戸で医学、蘭学、英語を学んだ後、航海術を学ぶために函館に赴き、武田斐三郎の諸術調所で学び、1865年、薩摩藩の洋学校(開成所)の蘭学講師となりました。

 1866年、幕臣・前島家の養子となり、維新後の1869年、明治政府の招聘により民部省・大蔵省に出仕。翌1870年3月、租税権正となり、ついで同年5月、自ら望んで駅逓権正を兼任しています。就任早々、前島は、東京=京都間を往復する文書に関して、政府が莫大な逓送費を飛脚業者に支払っていることを知り、これを官業とすることで、政府の支出を抑えることを考えつき、6月2日、郵便創業に関する建議を民部・大蔵両省の会議に諮ります。しかし、その直後の6月24日、大蔵大丞・上野影範の特別弁務官としてイギリスへの差遣を命ぜられたため、1871年4月の郵便創業の実務は、留守を預かった杉浦譲が取り仕切ることになりました。

 1871年8月、イギリスから帰国した前島は駅逓頭に任じられ、創業まもない近代郵便制度の基礎を確立すべく奔走。 翌1872年には陸海元会社(現・日本通運株式会社)、郵便報知新聞(現・スポーツ報知)の設立及に関与しています。

 その後、1877年には駅逓局長、1879年には内務省駅逓総監に任じられましたが、1881年、いわゆる“明治14年の政変”で下野し、大隈重信らとともに立憲改進党を創立。1886年には東京専門学校(現・早稲田大学)校長に就任しました。

 1888年、逓信次官として官界に復帰し、1891年3月まで在職。この間、官営電話交換制度を実施。1902年、逓信行政に対する多年の功績から男爵を授与され、1905年、貴族院議員に選任。1919年、神奈川県三浦郡西浦村芦名(現・横須賀市芦名)の別荘“如々山荘”で亡くなりました。

 ちなみに、今回ご紹介の記念切手の発行日は6月5日ですが、これは、東京・大手町の逓信総合博物館で行われた「前島密生誕150年記念展覧会」の会期初日にあわせたもので、前島個人の誕生日や命日などとは直接関係ありません。

 なお、この切手を含む昭和末期の記念切手については、拙著『昭和終焉の時代』でも詳しくご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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