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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 伝頼朝像
2010-03-11 Thu 13:52
 きのう(10日)午前4時40分ごろ、神奈川・鎌倉市の鶴岡八幡宮敷地内にある天然記念物の大銀杏が低気圧による北風の影響で倒れました。樹齢は推定1000年だったそうです。というわけで、今日はこの1枚です(画像はクリックで拡大されます)

      伝・源頼朝像

 これは、1968年9月2日に発行の「(第1次)国宝シリーズ」第4集に取り上げられた“神護寺 源頼朝像”の切手です。

 鶴岡八幡宮は、1063年、源頼義が、京都の石清水八幡宮護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現・材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりとされています。

 八幡宮が現在の場所に映ったのは、1180年、源頼朝が平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入ってからのことで、以後、社殿を中心にして、幕府の中枢となる施設が整備され、1191年、社殿の焼失を機に、上宮と下宮の体制とし、あらためて石清水八幡宮護国寺として勧請されました。その意味では、頼朝こそが現在の八幡宮の事実上の祖といってもよいでしょう。

 さて、切手に取り上げられた肖像画は、 京都市右京区高雄にある高野山真言宗別格本山の神護寺が所蔵(京都国立博物館に寄託)しているもので、中世肖像画の傑作の一つにあげられています。

 作品のデータとしては、寺の根本史料として14世紀半ばの南北朝時代に成立したとされる『神護寺略記』に「神護寺には後白河上皇、平重盛、源頼朝、藤原光能、平業房等の肖像があり、それらは藤原隆信の作品である」との記述があることから、ながらく似絵(肖像画)の名手である藤原隆信が源頼朝を描いた作品とされてきました。ただし、作品には画讃などがなく、これはあくまでも伝聞に基づく推定であったため、1951年の国宝指定の際には、名称を“伝源頼朝像”とするなどの措置が取られていました。ただし、一般にはこの絵は源頼朝の像として知られており、中学・高校の歴史教科書でもそのように記述されていたため、切手上の表示も“神護寺 源頼朝像”となっています。

 しかし、1990年代に入って、美術史家の米倉迪夫がこの絵を詳細に分析することによって、絵のモデルは源頼朝ではなく足利直義(尊氏の弟)の肖像ではないかとする新説を発表。それが一定の説得力あるものとして受け入れられたため、現行の歴史教科書では、この絵の題名には必ず“伝”の一字が付け加えられるようになりました。

 なお、この切手を含む第1次国宝シリーズの切手については、拙著『一億総切手狂の時代』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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