内藤陽介 Yosuke NAITO
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 アラブ叛乱と郵便
2005-12-04 Sun 16:06
 先日、11月29日の記事 に関連して、jsds001さんから、第一次大戦中のイギリスの中東政策に関するものを何か紹介してくれないかとのリクエストを頂戴しました。ご要望にお応えして、今日は、こんなカバー(封筒)をご紹介してみたいと思います。

ヒジャーズ暫定カバー

 このカバーは、1916年9月、メッカからジェッダ宛に差し出されたもので、いわゆる“アラブ叛乱”を物語る資料です。

 第一次大戦中、敵国であるドイツとオスマン帝国に対抗するため、イギリスはオスマン帝国の支配下にあったアラブ地域に目をつけ、メッカの太守であったシャリーフ・フサインに接近。1915年から16年にかけての、いわゆるフサイン・マクマホン書簡を通じて、「アラブがイギリスと共にオスマン帝国と戦えば、戦後、アラブの独立国家をつくる」との密約を結びます。これにしたがって、シャリーフ側は、1916年6月、シャリーフの影響下にあったアラブがオスマン帝国に対して反旗を翻しました。これが、いわゆるアラブ叛乱で、映画「アラビアのロレンス」でご存じの方も多いかと思います。

 さて、アラブ叛乱の後、メディナを除くヒジャーズ地域(アラビア半島の紅海沿岸。メッカ、メディナ、ジェッダなどが含まれる)をほぼ征圧したシャリーフ政権は、独立を宣言し、この地域に対するオスマン帝国の主権を否定します。それに伴って、シャリーフ政権の支配地域ではオスマン帝国の切手は使用禁止になりました。とはいえ、シャリーフ政権側も、すぐに独自の切手を用意できたわけではなかったため、暫定的に“料金徴収済み”の意味の印を押して対応するということが行われています。

 今日、ご紹介しているのは、その暫定的な料金収納印(左側の八角形の印)の押されたカバーです。この印の使用期間は、各地域で異なっているのですが、メッカの場合は、1916年6月26日から10月4日まででした。

 さて、オスマン帝国に対して反旗を翻したアラブ軍は、イギリスと協力して各地でオスマン帝国の軍隊を撃破していきます。しかし、その裏でイギリスは、サイクス・ピコ協定を結んで大戦後の中東分割をフランスとの間で密約し、さらに、バルフォア宣言を発して、パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を作ることに同意するなど、フサイン・マクマホン書簡の密約と矛盾する内容の外交を展開していました。

 こうしたイギリスの無責任な対応が、パレスチナ問題をはじめ、現在の中東世界に大きな負の遺産を残しているのですが、この辺については、拙著『中東の誕生 』もあわせてご覧いただけると幸いです。
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