内藤陽介 Yosuke NAITO
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 チャド独立50年
2010-08-11 Wed 14:26
 アフリカ中央部のチャドが1960年8月11日に独立してから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

         チャド航空加刷

 これは、1960年12月にチャドが発行したローマ五輪の記念切手で、仏領赤道アフリカ時代の航空切手に、新国名と新額面、記念銘を加刷したものです。

 さて、アフリカ内陸部、チャド湖とその周辺は、ながらくカネム・ボルヌ帝国の支配下に置かれていましたが、19世紀に入ると、列強諸国の進出にさらされることになります。すなわち、1822年、イギリス人のディクスン・デンハムとヒュー・クラッパートンが1822年にチャドに到達。ついで、トリポリから南下したドイツ人のハインリッヒ・バルトが1853年に周囲を含めて探査、1870年と1871年にはやはりトリポリからドイツ人のギュスタフ・ナハティガルがチャドを調べています。その後、1884年から1885年にかけてのベルリン会議では、フランスがリビア以西のアフリカの大半を勢力圏内とすることが決められましたが、ドイツもチャド湖南岸からカメルーンにいたるエリア(現在のチャドの一部)を植民地としています。

 一方、カネム・ボルヌ帝国は1883年から1890年にかけて、スーダンから進入したラビー・ズバイルの攻撃を受け、苦戦していました。この状況を見たフランスは、1891年、カネム・ボルヌ王国の保護を口実にチャドに侵入。1900年、ラビー・ズバイル軍を破ると、周辺諸民族の制圧を進め、1910年、チャドのフランス領併合を断行します。そして、1913年頃までにはチャド全域の支配を確立し、1920年、チャドの地域は正式に仏領赤道アフリカへ編入され、ブラザヴィル(現在のコンゴ共和国の首都)に置かれた総督の支配下に置かれました。

 チャドとしての最初の切手は、1922年に仏領中央コンゴ切手に“TCHAD”と加刷して発行されています。この時点では、チャド、ガボン、中央コンゴ、ウバンギシャリの仏領赤道アフリカの4連邦はそれぞれ別の切手を発行していましたが、1934年以降は連邦共通の切手が使われるようになり、チャド単独の切手は発行されていません。

 第2次大戦中、シャルル・ド・ゴールの呼びかけに応じ自由フランス政府を支持したことから、1957年、チャドは自治が認められ、1958年、自治共和国が発足。1960年8月11日、完全独立を果たしました。

 今回ご紹介の切手は12月の発行ですが、発行の名目となっているローマ五輪の会期は8月25日から9月11日でしたから、会期終了後、かなり後れての切手発行ということになります。ちなみに、チャドの五輪参加は、ローマ五輪の次、1964年の東京五輪からになりますので、フツーなら、無理に切手を発行しなくてもよかったのでは…と思ってしまいます。まぁ、海外の五輪(切手)コレクターの懐を狙って、急遽、発行を決めたということなのでしょう。

 なお、8月27日に刊行予定の拙著『事情のある国の切手ほど面白い』(メディアファクトリー新書007)では、いわゆる切手で外貨を稼ぐというシステムについても、その歴史的な展開を概観する1章も設けています。今回ご紹介のチャドについての直接的な記述はないのですが、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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