内藤陽介 Yosuke NAITO
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 泰国郵便学(9)
2010-08-28 Sat 11:42
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第44巻第4号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は1932年の立憲革命とその後の状況について取り上げました。その中からこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

         タイ表示の最初の切手

 これは、1940年5月13日に発行されたチャクリー宮殿の切手です。

 立憲革命後の1932年12月に発布された恒久憲法は、形式的にはイギリス型の議会制民主主義の体裁を取っていました。しかし、議会制民主主義が定着するまでの“経過措置”として、国会は人民が選挙する民選議員と国王(実際には幼少の国王に代わって人民党政権)が任命する任命議員が同数を占めるものとされていました。当然のことながら、人民党はこの“経過措置”を利用して権力の独占をはかり、純粋に民意を背景に当選してきた民選議員と対立することになります。

 こうした状況の下で、民選議員が激しい政府批判を展開すると、パホン政権は民選議員に対して弱腰であるとの批判が人民党内部で強まり、内閣は退陣に追い込まれ、41歳のピブーンが首相として表舞台に登場してきました。

 ピブーンは首相就任早々、反対派を逮捕・投獄するなどの大弾圧を行うとともに、王室財産とそこから生じる収益を流用して議員たちに利益を分配することで、短期間に議会を掌握。権力基盤を確立したピブーンは、1939年6月24日の革命7周年の記念日から、従来、チャクリー王朝の創始記念日であった4月6日に代えて、6月24日をナショナルデーとしました。もはや、王室ではなく革命を主導した人民党政権こそがタイの権力の中心にあることを宣言したといってよいでしょう。

 さて、1939年6月24日の革命記念日に際して、ピブーンは「文明国人と同一の完全な愛国心をタイ人にもたせるための出発の日にすべき」と演説して、ラッタニヨム政策(国家信条)を発動。その第一弾として、彼は従来の国名であった“サヤーム(シャム)”は外国人による蔑称だとして国号を“タイ”に変更することを明言。同年10月6日の憲法改正により、国号は正式にタイへと変更されました。今回ご紹介の切手は、この国号変更に伴って、切手の国名表示が“タイ”となった最初のケースとなりました。

 なお、切手に取り上げられたチャクリー宮殿については、拙著『タイ三都周郵記』でも取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。 


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