内藤陽介 Yosuke NAITO
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 コート・ディヴォワールの大統領
2010-12-05 Sun 23:02
 先月28日、2002-03年の内戦後初の大統領選挙が行われた西アフリカのコートディヴォワールで、きのう(4日)、再選を狙う現職のバグボ大統領と元首相で野党候補のワタラがともに勝利宣言し、大統領就任を宣誓。2人が“大統領”を名乗る異常事態が起きています。というわけで、きょうはこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        ボワニMC

 これは、1959年12月4日に発行されたコート・ディヴォワール自治共和国発足1周年の記念切手のマキシマムカードで、切手には初代大統領のフェリックス・ウフェ=ボワニの肖像が取り上げられています。ちなみに、コート・ディヴォワールが完全独立を果たすのは、翌1960年8月7日のことでした。

 ウフェ=ボワニは、1905年10月18日、コート・ディヴォワール中南部のヤムスクロ出身。第二次大戦後、フランス第4共和政が成立し、植民地からも議員が選出できるようになると、1946年、アフリカ民主連合(フランス領西アフリカとフランス領赤道アフリカの政治家が集まって結成)の総裁に就任。同党のコート・ディヴォワール支部としてコートジボワール民主党(PDCI)を設立し、党首として独立運動を主導しました。

 その後、アフリカ民主連合内で、仏領各植民地の分離独立論と汎アフリカ主義・仏領西アフリカ連合論が対立すると、分離独立派の中心人物として活動。1960年にコート・ディヴォワールの完全独立を達成します。

 独立後は、親仏政策を取るとともに、コート・ディヴォワール民主党による一党独裁体制を敷き、主要産業であるカカオの生産と輸出を国家が管理する体制を構築し、1960年代から1970年代にかけて年平均8パーセントの驚異的な経済成長を達成。アフリカの新興独立国の多くが経済的に低迷を続ける中で、彼の国家運営は“イヴォワールの奇跡”と称賛されました。

 しかし、1980年代以降はカカオの国際相場の下落による経済の悪化や、PDCIの一党独裁に対する国民の不満が高まったこともあり、1990年10月には初めて複数候補による大統領選を実施せざるを得なくなります。このときの選挙ではボワニが圧勝して7選したものの、翌11月の総選挙では、イボワール人民戦線(FPI)など野党もわずかながら初めて議席を獲得しました。

 その後、ウフェ=ボワニは大統領在任中の1993年に現職のまま亡くなりますが、それにより、国内の対立が表面化。後継大統領となったコナン・ベディエの能力不足もあって、コート・ディヴォワール情勢は一挙に不安定化し、2002年の内戦勃発を招くことになります。

 今回の事件も、建国の父であるウフェ=ボワニ亡き後、国家をまとめきれる人物が育たなかったがゆえに起きたともいえるわけですが、そう考えると、明らかに国家を束ねるだけの力量にかける人物が首相の座にかじりついていても、なんとか社会秩序が維持できている日本は、やはり、幸せな国なんでしょうな。


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