内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 アンリ4世の頭部
2010-12-16 Thu 22:52
 フランス・ブルボン王朝の開祖で“ナントの勅令”で知られるアンリ4世のものとされていた頭部について、鑑定を続けていた法医学者らのグループが「本人と確認した」と発表したそうです。というわけで、きょうはこんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        アンリ4世MC

 これは、1943年10月にフランスで発行された“16世紀の有名人”のうち、アンリ4世を取り上げた5フラン(+10フラン)切手のマキシマムカードです。

 アンリ4世は、1553年12月13日、当時のユグノー(フランスのプロテスタント)の盟主だったブルボン家のヴァンドーム公アントワーヌのことして、フランス南西部のポーで生まれました。

 父親のアントワーヌは1561年にカトリックに改宗しましたが、1562年に始まるユグノー戦争でユグノーの盟主となった叔父のコンデ公ルイ1世と戦って戦死。このため、アンリはブルボン家の当主となり、当時の新旧両教の対立の中で改宗を繰り返すことになります。

 1589年、フランス王アンリ3世が暗殺されると王位を継承。その後、カトリックに改宗して国内を平定し、1598年にナントの勅令を発布してユグノーに信教の自由を認めて国内融和に努め、40年近くにわたる戦争を終結させました。その後、長年の戦乱で疲弊した国家を再建しようとしましたが、1610年、狂信的なカトリック信者によって暗殺されました。

 さて、アンリ4世の遺体は、死後、他の王と同じくパリ郊外のサンドニ教会に埋葬されましたが、1789年の革命後に反王党派勢力が棺を開けて遺体を庶民用墓地に放置。何者かによって遺体は切り刻まれてしまいました。そのうちの頭部は、19世紀にドイツ貴族のコレクションに入り、20世紀初頭にはパリでの競売で落札されるなど、しばしば表に出て来たのですが、なにぶんにも本人との確認が取れないため、その真偽については眉唾ものとする見方が一般的でした。

 今回、所有者の依頼により鑑定が行われた結果、頭部には頭髪や髭が残っていたほか、王が付けていたピアス跡が右耳にあり、暗殺未遂の刃物の傷跡が上唇部分の骨に残っていることなどから、本人のモノに間違いないとの結果が出たようです。

 そこで、今回は王の耳がはっきりと描かれているマキシマムカードをもってきて、決め手になったピアスないしはその跡を探してみようかとも思ったのですが、ちょっと難しかったですな。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

        マカオ紀行・表紙カバー

   マカオ紀行:世界遺産と歴史を歩く
       彩流社(本体2850円+税) 

   マカオはこんなに面白い!
   30の世界遺産がひしめき合う街マカオ。
   カジノ抜きでも楽しめる、マカオ歴史散歩の決定版!
   歴史歩きの達人“郵便学者”内藤陽介がご案内。

 全国書店・インターネット書店(amazonbk1boox storeconeco.netDMM.comHMVJBOOKlivedoor BOOKSYahoo!ブックスカラメル紀伊国屋書店BookWebゲオEショップジュンク堂セブンネットショッピング丸善楽天ブックスなど)で好評発売中! 
スポンサーサイト

別窓 | フランス:ヴィシー政権 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<< 切手に描かれたソウル:延世大学校 | 郵便学者・内藤陽介のブログ |  クリスマス島で難民船大破>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/