内藤陽介 Yosuke NAITO
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 日本、シリアに勝利
2011-01-14 Fri 10:18
 きのう(13日)行われたサッカーのアジア・カップ1次リーグB組の第2戦で、2大会ぶり4度目の優勝を狙う日本がシリアに2-1で競り勝ちました。ザッケローニ監督は公式大会初勝利だそうです。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        EEF・アレッポ使用

 これは、第一次大戦後の1919年、現在のシリア=トルコ国境に近いシリア北部の都市、アレッポから差し出されたカバーで、この地に進駐していたイギリスのエジプト遠征軍用の切手が無加刷で使用されています。

 第一次大戦中の1916年、戦争終結後のアラブ国家の建設と引き換えに、現地のアラブ勢力がオスマン朝への反乱を起こしてイギリスの軍事行動をサポートするというフサイン=マクマホン書簡の密約に従い、シャリーフ・フサインがオスマン帝国に叛旗を翻し、いわゆるアラブ叛乱が勃発します。

 フサインの第三皇子ファイサルが率いる叛乱側は、はやくも1916年7月にはメッカとジェッダでオスマン朝の守備隊を降伏させたほか、同年9月にはターイフも陥落させ、メディナを除くヒジャーズ(アラビア半島北西部の紅海沿岸地帯)のほぼ全域を制圧。叛乱軍は、メソポタミアの英印軍とも共同して対オスマン朝のゲリラ戦を展開しながら北上し、翌1917年にはアカバのオスマン朝軍を撃破し、エルサレムに進撃します。さらに、1918年に入ると、ファイサル率いるアラブ軍とアレンビー率いるイギリス軍は、共同作戦を展開して勝利を重ね、9月30日にはダマスカスを占領。ファイサルを首班とするアラブ政府の樹立が宣言されました。

 こうした状況の下で、イギリス軍の駐留地域ではエジプト遠征軍の切手が持ち込まれ使用されました。その使用地域は、今回ご紹介のシリアのみならず、パレスチナやトランスヨルダンなどにも広がっています。

 その後、現在のシリア・レバノンの地域は、大戦中の1915年から1916年にかけてまとめられた英仏の密約、サイクス=ピコ協定によりフランスの勢力圏内とされたとおり、フランスの委任統治下に置かれ、アラブ政府は駆逐されることになります。

 このあたりの事情については、昨年開催の<テーマティク出品者の会>作品(CD-ROM)に所収の僕の作品「マグレブ近現代史」でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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