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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 強制収容所の元看守に禁固5年
2011-05-13 Fri 09:51
 きのう(12日)、ドイツ・ミュンヘンの裁判所は、第2次世界大戦中の1943年3月から9月まで、ナチス・ドイツ占領下のポーランドのソビブル強制収容所で看守を務めていた、ジョン・デムヤンユク被告(現在91歳)に禁錮5年の判決(ただし、逃亡の恐れや社会への脅威はないとして、即時釈放)を下しました。というわけで、ソブビルではないのですが、ナチスの強制収容所関連ということで、きょうはこんなモノを持ってきました(画像はクリックで拡大されます)

        アウシュヴィッツ・青色封筒

 これは、1941年6月27日、アウシュヴィッツ強制収容所から差し出されたカバーで、収容者専用の青色封筒が使われています。

 1939年9月、ポーランドに侵攻したナチス・ドイツは、1940年5月、ポーランド南部のオシフイエンチム(ドイツ語名アウシュヴィッツ)郊外の旧ポーランド軍兵営をアウシュヴィッツ第1強制収容所として、犯罪常習者とポーランド人政治犯の収容を始めました。その後、ブジェジンカ(ドイツ語名ビルケナウ)に第2、モノヴィッツに第3収容所が設置され、1945年1月にソ連軍が解放するまでの間に、100万人のユダヤ人と、25万人以上の非ユダヤ人が計3ヶ所の“アウシュヴィッツ強制収容所”で犠牲になりました。

 収容者の通信には専用の封筒・便箋・葉書が使用されていましたが、外部から差し入れられるなどして、通常の葉書等が用いられることもありました。その後、戦況の悪化に伴い、封筒と便箋が一体となったレターシートが使われるようになります。

 今回ご紹介のモノは、その初期の専用封筒で、青色の用紙で、左側には7項目の注意書きが印刷されています。なお、この頃のアウシュヴィッツでは、収容者の手紙は専用の便箋に書かれ、この封筒に入れて送られました。貼られているのはヒンデンブルクの12ペニヒ切手で、赤い角型の検閲印が押されています。

 アウシュヴィッツ関連のステーショナリーには、さまざまなヴァリエーションがあり、収集対象としてもなかなか興味深いので、いずれ、なんらかの形できちんとまとめてみたいと思っています。


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