内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 仙台七夕まつり
2011-08-06 Sat 22:40
 東日本大震災を受け、「復興と鎮魂」をテーマとした“仙台七夕まつり”が、きょう(6日)から仙台市ではじまりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        たなばた

 これは、1962年7月7日、「季節の行事切手」の第2集として発行された“たなばた”です。

 七夕は、桃の節句と同様、五節句の一つで、節句としての読みかたは“シチセキ”で、本来は旧暦7月7日の行事です。ちなみに、ことしは、きょうがまさに旧暦7月7日ですから、仙台七夕のふるさと切手ではなく、一般的な七夕の切手を持ってきても、まぁ、許されるでしょう。

 現在の七夕は、①中国の牽牛・織女伝説、②同じく中国の乞巧奠、③日本の“棚機つ女”の行事、の三種が混合して現在のような形式になったといわれています。

 このうち、乞巧奠とは、天上で機を織る織女は女子の手芸の神様でもあることにちなみ、これに祈ることで手芸(裁縫や習字、和歌なども含まれる)の上達を祈った行事で、日本では、織女星がのぼるころ、供え物や和歌を詠んだ短冊などを捧げたといわれています。

 ところで、日本には、古来、先祖の霊を祀るため、機織りをして織りあがった布を祖先の霊に捧げる行事がありました。このとき先祖に捧げる布を織る女性を“棚機つ女”と呼んだことから、“たなばた”の呼び名が生まれ、織女の伝説と結び付けられたものと考えられています。

 これらの要素のうち、中国起源の伝説・行事が、まず、宮廷の貴族間に広がり、それが庶民にも広がるという経路をたどりました。その過程で、日本古来の“棚機つ女”の行事がミックスされ、江戸時代以降、寺子屋の普及に伴い、習字などの手芸の上達を願った乞巧奠の意味合いを強調する行事として盛んになっています。笹竹に短冊を飾り、家の軒下などに飾る習俗も、この頃から盛んになったもので、飾った笹竹を翌日川に流すのは、日本古来の汚れを祓う行事の名残と考えられています。

 仙台七夕は伊達政宗の時代から始まり、1783年には、天明の大飢饉発生による荒廃した世俗の世直しを目的に藩内で盛大に行われました。

 明治以降、新暦の採用を境にして、旧暦をもとにした七夕の風習は廃れていきましたが、1927年、これを憂えた地元商店街の有志らによって大規模に七夕飾りが飾られ、大勢の見物客で商店街は賑わうと、翌1928年以降、旧暦開催を新暦日付の月遅れ(8月6-8日)で大規模な飾りつけの七夕祭りが開催されるようになりました。

 第二次大戦中、仙台七夕は一時的に中断を余儀なくされましたが、終戦翌年の1946年には仙台空襲で焼け野原となった街に52本の竹飾りが飾られ、翌1947年の昭和天皇巡幸の際には沿道に5000本の竹飾りを並べて本格的な復活を遂げています。なお、現在のように“東北三大祭り”の一つとして日本各地から観光客が集まるようになったのは、高度成長期以降のことです。

 ちなみに、今回ご紹介の切手発行にあわせて、仙台局では新たな図案の風景印を使い始めたため、この切手の初日カバーには、仙台局の風景印を押したものが多いようです。


  ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★

    5月29日付『讀賣新聞』に書評掲載
  『週刊文春』 6月30日号「文春図書館」で
  酒井順子さんにご紹介いただきました !

        切手百撰・昭和戦後
         切手百撰 昭和戦後
       平凡社(本体2000円+税)    

  視て読んで楽しむ切手図鑑!
  “あの頃の切手少年たち”には懐かしの、
  平成生まれの若者には昭和レトロがカッコいい、
  そんな切手100点のモノ語りを関連写真などとともに、オールカラーでご紹介

  全国書店・インターネット書店(amazonboox storeconeco.netJBOOKlivedoor BOOKSYahoo!ブックスエキサイトブックス丸善&ジュンク堂楽天など)で好評発売中!
スポンサーサイト

別窓 | 日本:昭和・1961~1966 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<< 鼻の日 | 郵便学者・内藤陽介のブログ |  日豪戦争⑬>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/