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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ソ連8月クーデターから20年
2011-08-19 Fri 21:03
 ソ連崩壊の直接のきっかけとなった1991年8月19日のクーデターから、きょうでちょうど20年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        8月クーデター失敗

 こては、1991年10月11日にソ連が発行した“8月クーデター失敗”の記念切手で、ロシア最高会議ビル(通称ホワイトハウス)を取り囲む市民が描かれています。

 1985年にソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフは、いわゆるペレストロイカとグラスノスチを推進し、東西冷戦に終止符を打ちましたが、彼の改革路線に対しては国内の守旧派の反発も強く、経済再建は事実上とん挫してしまいました。

 こうした中で、ゴルバチョフは事態を打開するための方策として、ソ連を構成する各主権共和国は独立した共和国として共通の大統領、外交、軍事政策下に連合するという新連邦条約を締結することを決断しました。

 これに対して、守旧派は新連邦条約によって、いわゆるバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の完全独立が促進され、ソ連の解体が進むことを恐れた保守派は、条約への大統領の署名予定日前日の1991年8月19日、クリミア半島フォロスの別荘で休暇中のゴルバチョフに対して、副大統領ヤナーエフへの全権委譲と非常事態宣言の受入れ、大統領辞任を要求。ゴルバチョフがこれを拒否すると、彼を別荘に軟禁しました。

 一方、モスクワでは、同日早朝、クーデター側の組織した国家非常事態委員会の名義で「ゴルバチョフ大統領が健康上の理由で執務不能となりヤナーエフ副大統領が大統領職務を引き継ぐ」との声明が発表されるとともに、クーデター側が全権を掌握し、モスクワ中心部に戦車が出動しモスクワ放送は占拠されました。

 これに対して、ロシア共和国大統領で急進改革派のエリツィンは「クーデターは違憲、国家非常事態委員会は非合法」との声明を発表。連邦大統領のゴルバチョフが国民の前に姿を見せること、臨時人民代議員大会の招集などを要求し、自ら戦車の上で旗を振りゼネラル・ストライキを呼掛け戦車兵を説得しました。また、市民はこれに呼応してロシア共和国最高会議ビル周辺にバリケードを構築し、銃や火炎瓶を手に、クーデター側との戦闘に備えました。今回ご紹介の切手は、その場面を描いたものです。

 結局、守旧派のクーデターは国民の猛反発を招き、軍も早々に離反。国際社会の非難もあって、20日には一部で流血があり3人が犠牲となったものの、8月21日にはクーデターは完全な失敗に終わり、ゴルバチョフが復活しました。この事件をきっかけに、ソ連共産党の権威は完全に失墜し、8月28日には活動停止に追い込まれました。なお、ソ連そのものが完全に解体されたのは、同年12月25日のことでした。


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