内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ザンジバル沖で大沈没事故
2011-09-10 Sat 23:53
 きょう(10日)未明、アフリカ東部、インド洋のザンジバルのウングジャ島からペンバ島へ向け、約600人を乗せて航行していた船が沈没。60人の子どもを含む325人が救助されたものの、200人以上が死亡する大惨事となりました。亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうはザンジバル切手の中からこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

        ザンジバル・共和加刷

 これは、1964年にザンジバルで発行された共和加刷の切手です。

 19世紀以前のザンジバルは、アラブ系のオマーンの支配下に置かれており、1832年にはオマーンのスルタンがザンジバルに遷都したほどでした。その後、1861年にザンジバルはオマーン本土と分離した独立のスルタン国となります。

 1875年10月1日、イギリスは英領インド切手をザンジバルに持ち込み、この地に最初の近代郵便制度を導入しました。その後、1889年1月にはフランスが、1890年9月27日にはドイツが、それぞれ、ザンジバルに郵便局を設けますが、1890年、ザンジバル・スルタン国がイギリスの保護国となったため、両国の郵便局はザンジバルからの撤退を要求されます。このため、ドイツ局は1891年7月31日限りで撤退しましたが、フランス局は既得権を理由に1904年7月31日まで活動を続けました。

 第二次大戦後の1963年、ザンジバル・スルタン国は英連邦加盟の立憲君主国として独立しましたが、アラブ系のスルタンに不満を持つアフリカ系住民は、翌1964年1月、ザンジバル革命を起こしてスルタンを追放。ザンジバル人民共和国を樹立します。今回ご紹介の切手は、これに伴い発行されたものです。

 さて、革命政府は露骨な報復政策をとり、アラブ系やアジア系が所有していた土地や産業を強引に国有化したほか、アラブ系・アジア系の大量虐殺を行い、革命政府に対して批判的な国の大使を追放するなどしたため、社会状況は大いに混乱します。このため、革命政府の大統領カルメは、1964年4月、治安回復のためと称して対岸の隣国タンガニーカに警官隊投入を要請。さらに、タンガニーカとの合併により、タンガニーカ・ザンジバル連合共和国を成立させ、ザンジバル国家を消滅させてしまいました。

 ちなみに、このタンガニーカ・ザンジバル連合共和国が現在のタンザニア連合共和国の直接の前身で、今回のニュースがタンザニアの出来事として扱われていたのもこのためです。


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