内藤陽介 Yosuke NAITO
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 無理に改名しなくても…
2011-09-16 Fri 22:40
 東京・渋谷センター街のメーンストリートが“バスケットボールストリート”(通称:バスケ通り)と命名されることになったそうです。渋谷センター商店街振興組合によると、センター街は若者が集まり、流行を生み出す一方で、街のモラルが指摘されるケースもあり、今回の命名でイメージアップを狙うのだとか。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきてみました(画像はクリックで拡大されます)

        スターリン市宛はがき

 これは、1952年、共産主義政権下のルーマニアで“スターリン市”宛てに差し出された葉書ですが、ここでいう“スターリン市”は、ルーマニア第2の都市ブラショフのことです。

 1947年の共産革命後、権力を掌握したルーマニア共産党書記長のゲオルゲ・ゲオルギュ=デジは戦前からの土着の共産主義者でしたが、スターリンの支持を得て、モスクワ帰りのライバルたちを粛清し“小スターリン”としての地歩を固めていきました。1951一年からスタートした第1次5ヵ年計画や“富農一掃”のスローガンの下に行われた農村の集団化などは、まさに、スターリン時代のソ連の経済政策に倣ったもので、そうした“向ソ一辺倒”の時代の産物として、ブラショフ市もスターリン市と改名されたというわけです。

 スターリンが1953年に亡くなると、軍事力増強のために、国民生活に必要な農産物や消費財の生産を犠牲にしてでも重工業を重視する生産力至上主義に対する国内の不満が高まり、デジは自己批判を迫られます。そして1954年、一時的に、党書記長の座をゲオルゲ・アポストルに譲らざるを得なくなりました。しかし、翌1955年にソ連で重工業優先政策が復活すると、それにあわせてデジも党書記長に返り咲き、ルーマニアの“社会主義経済建設”も旧に復することになりました。

 1956年、いわゆるハンガリー事件が起こると、隣接するルーマニアにもソ連軍が進駐します。デジ政権は率先してソ連軍の介入を支持するなど、表向きはソ連の“忠臣”として行動しましたが、内心は次第にソ連離れを志向。事件後、ソ連が社会主義陣営のタガを締め直すため、コメコンによる国際分業体制の構築に本格的に乗り出すと、“農業国”のままに据え置かれることを嫌ったルーマニアはこれに強く反発。さらに、この頃から始まった中ソ論争でも中立の立場を取ったほか、1964年以降は、西側世界との独自の交流を開始しています。

 こうした時流に合わせて、スターリン市もまた、ブラショフ市の名前を取り戻すことになりますが、公式にはこの地が“スターリン市”と呼ばれていた時代でさえ、地元の住民は日常会話ではブラショフの地名を使い続けていたといわれています。

 このほかにも、たとえば、日本占領下の香港で輔道(デボー・ロード)を昭和通と改名しても現地住民の間では定着しなかったことや、現在なお、ベトナム人の間ではホーチミンよりも旧称のサイゴンの方がよいことなど、上から強引に解明しても人々の意識までは変えることはできないケースは無数にあります。

 今回の“バスケ通り”が定着するかどうかは現時点では未知数ですが、この件を取り上げたブログやツイッターなどを見る限り、旧国電をE電としたのと同様、エライ人の自己満足だけで、結局は定着せずに終わる可能性が高いとみている人が多いようです。たしかに、センター街をバスケ通りにすればイメージが改善されるという主張は、少なくとも、僕の理解を超えた発想ですな。

 なお、今回の記事で取り上げたブラショフについては、拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』でも詳しく取り上げておりますので、機会がありましたら。ぜひご覧いただけると幸いです。


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