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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 五輪募金から半世紀
2011-10-11 Tue 23:46
 1961年10月11日に東京オリンピック募金切手の第1集が発行されてから、きょうでちょうど50年です。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        東京五輪募金・やり投げ

 これは、1961年10月11日、東京オリンピック募金切手第1集の1枚として発行された“やり投げ”です。

 1959年、ミュンヘンで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)総会で、1964年のオリンピック夏季大会を東京で開催することが正式に決定されました。この決定は、大多数の日本国民にとっては寝耳に水の出来事で、女優の高峰秀子が『朝日新聞』紙上で「十年早い」と返上を訴えるなど、当初、国民の間にはオリンピック開催の実現を疑問視する声も少なくありませんでした。

 5年後の東京オリンピック開催に懐疑的な国民の多くが、その理由として挙げていたのが、資金の問題でした。すなわち、当時の日本の経済力では、オリンピックの開催に必要な経費をまかなうことは相当に難しいのではないか、との懸念が強かったのです。

 はたして、政府はこの大会を成功させるために担当大臣のポストをつくって準備を進め、国立競技場、武道館、駒沢競技場、国立室内競技場などを建設しましたが、その総工費だけで160億円が必要で、施設の整備や運営資金については、民間から資金を調達する必要があるのは明らかでした。

 このため、(財)東京オリンピック資金財団(以下、資金財団)が設立され、資金調達のための各種の活動が本格的に行われることになりました。

 当初、資金財団の計画では、記念切手、記念葉書、電話番号簿(電話帳)広告、タバコ、国鉄(現JR)の広告などが資金調達のための手段として考えられていました。

 このうち、記念切手に関しては、1961年2月27日、資金財団会長の石坂泰三名で郵政大臣・小金義照宛に寄附金つき記念切手と特別葉書の発行申請書が提出されたところから、具体的な話がはじまります。

 当時、郵政省の内部では、大会開催時に発行する記念切手とは別に、事前に、大会の周知・宣伝のための切手を発行することを検討していました。このため、資金財団からの申請を受け、さっそく、3月8日、郵務局の管理課ならびに業務課の関係者が集まり、募金の方法や現行法との関係などの問題点が協議されました。

 その際、オリンピックの寄附金を調達するために独自の切手・葉書を発行するのか、あるいは、年賀葉書の寄附金をオリンピック資金に充てるのか、という点が主な論点となりました。しかし、当時の法律では、年賀葉書の寄附金をオリンピックの資金に充てることは不可能だったため、郵政部内では、いわゆる郵政族議員を動かして、議員立法の臨時特例法を制定することも検討されていたようです。

 一方、オリンピック東京大会組織委員会(以下、組織委員会)の側では、3月16日、寄附金つき切手発行に関する立法措置を講じるよう郵政省に要望する決議を採択し、同20日付、その趣旨の依頼文書を組織委員会会長の津島寿一(元大蔵大臣)名で郵政大臣宛に提出しています。

 これを受けて、3月25日、郵務局長室で関係者の会議が行われ、一応の結論として、①オリンピック寄附金つき葉書は発行しない、②額面5円+5円のオリンピック寄附金つき国民体育大会(国体)記念切手を発行する、③寄附金つきの国体切手は毎年4種各500万枚ずつ3年にわたって発行し、3億円の寄附金を集める、ということが決定されました。

 ところで、資金財団の計画を実行に移すためには、電電公社(現・NTT)、専売公社(現・日本たばこ)、国鉄などに関しても、郵政省における年賀葉書のケースと同様に、法律上の制約がありました。このため、それらを別々に処理しようとすると法律上も煩瑣になるため、一括してオリンピック開催のための資金調達に関する立法措置が講じるのがよいということになりました。そして、その結果、文部省体育局が中心となって「オリンピック東京大会の準備等に必要な特別措置に関する法律(以下、五輪準備特措法)」の法案がまとめられ、5月26日、国会に提出され、6月15日、公布・施行されました。そのうちの切手に関する部分は以下のとおりです。

 第一条
 この法律は、昭和39年に開催されるオリンピック東京大会(以下、「大会」という。)の円滑な準備及び運営並び大会に備えての選手の競技技術の向上(以下、「大会の準備等」という。)に資するため必要な特別措置について定めるものとする。
 第四条 (寄附金つき郵便葉書等の発行の特例)
 お年玉つき郵便葉書及び寄附金つき郵便葉書等の発売並びに寄附金の処理に関する法律(昭和二十四年法律第二二四号)第五条第一項に規定する寄附金つき郵便葉書等は、同条第二項に規定するもののほか、財団法人東京オリンピック資金財団(以下、「資金財団」という。)が調達する大会の準備等に必要な資金(以下、「大会準備資金」という。)に充てることを寄附目的として発行することができる。この場合においては、資金財団を同項の団体と見なして同法の規定を適用する。

 さて、五輪準備特措法案の国会提出を受け、5月30日、郵政省では、寄附金つき切手の発行計画を全面的に見直し、3つの案を中心に部内で協議し、国体切手に寄附金をつける従来の案と、あらたにオリンピックの寄附金を集めることを主目的とした切手を発行する案とが検討され、後者の案が採用されることになりました。また、このときの会議では、あわせて、毎年の発行枚数と寄附金の金額についても討議が行われ、1961年には3種各500万枚を1回、1962年と1963年には3種各300万枚を各2回、1964年には3種各300万枚を1回、それぞれ発行し、総額3億円の寄附金を集めることが基本方針として決定されています。

 切手制作の実務的な作業に関しては、6月7日、郵政省の部内で版式の問題(凹版1色にするプランとグラビアまたはオフセット4色にするプランがありました)などが協議されましたが、このときは結論が出せませんでした。このため、発行日をとりあえず10月15日と設定した上で、印刷局との日程調整を行った結果、印刷局の作業能力としては、凹版一色でバックにグラビアもしくはオフセットの一色模様をかけるのが限界であることがわかりました。さらに、当時の高額紙幣の印刷に用いられていたドライオフセットのシムルタン印刷機(表3色裏2色が同時印刷できる)に関しては、当時の段階では、切手印刷への転用は困難であることが印刷局から報告されました。結局、翌15日に13枚の下図ができあがったところで、版式を凹版1色とすることが正式に決定されています。また、切手中に入れる名称や年号、五輪マークなどもについても、このとき、基本的な方針が決定されました。

 一方、正式な原画の作成に関しては、6月14日、郵政省のスタッフが講道館と日本体育協会(以下、日体協)を訪ねて資料を収集したうえで、翌十五日、組織委員会に競技種目についての見通しを尋ねています。

 このとき、特に問題となったのは、柔道の取り扱いでした。

 最終的に、柔道は東京オリンピックから正式種目に採用されたものの、このことは、1961年6月19日からアテネで開かれたIOC総会で決定されたものでした。これに対して、最初の寄附金つき切手を10月中旬に発行するためには、6月20日までに原画を印刷局へ渡さねばなりません。このため、正式種目としての採否が不透明な柔道については、とりあえず、1961年10月発行の寄附金つき切手には取り上げないこととなり、やり投げ(木村勝の作品)、ランナー(久野実の作品)、水泳(渡辺三郎の作品)、レスリング(長谷部日出男の作品)、女子飛び込み(大塚均の作品)の5点の中から、最終的に、やり投げ、レスリング、飛び込みの3点が採用されました。

 一方、切手周囲の文字部分については、全体の統一感を出すため、渡辺三郎が文字だけの原画を作り、これを写真に撮ったものを統一のフォーマットとして原画に貼り付ける手法が採られることになります。

 こうして世に出た東京オリンピックの寄附金つき切手については、一部に、国民全体が協力すべきオリンピックに対して切手収集家にのみ過重な負担を強いるものだとか、額面5円に対して寄附金の5円は高すぎるなどと批判する収集家もいないわけではありませんでしたが、全体としては、オリンピックそのものに対する国民の関心が高まってきたことや、1961年1月発行の花切手を機に切手ブームが再燃の兆しを見せつつあったこともあって、好調な売れ行きを示しました。

 なお、今回ご紹介の切手を含む東京オリンピック募金切手については、拙著『切手百撰 昭和戦後』でも取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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