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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 日本で最も有名なバスク人
2011-10-21 Fri 23:57
 スペイン北部バスク地方の分離独立を求める非合法武装組織“バスク祖国と自由(ETA)”が、きのう(20日)、40年以上に及ぶ武装闘争の終結を宣言しました。というわけで、日本でバスク人といえばやっぱりこの人ということで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ザビエル・2アヴォス

 これは、1951年にマカオで発行された偉人シリーズのうち、フランシスコ・ザビエルを描く2アヴォス切手です。

 ザビエルは、1506年頃、バスクの中心都市パンプローナ近郊のザビエル城で地方貴族の家に生まれました。

 1525年、19歳でパリ大学に留学。聖バルバラ学院に入り、哲学を学んでいるときに、イグナチオ・デ・ロヨラらと知り合い、1534年8月、仲間とともにモンマルトルの聖堂で神に生涯を捧げるという誓いを立てました。これがイエズス会の始まりとされています。

 その後、1537年6月、ザビエルはヴェネツィアの教会でイグナチオらと共に司祭に叙階され、エルサレム巡礼を試みましたが、国際情勢の悪化で果たせませんでした。このため、ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインド西海岸のゴアに布教の旅に出ることになり、1541年4月にリスボンを出発。アフリカのモザンビークを経て、1542年5月、ゴアに到着しました。そして、ゴアを拠点にインド各地で宣教した後、マラッカ等での布教経験を経て、1549年4月、日本を目指してゴアを出発。同年8月、現在の鹿児島市祇園之洲町にたどり着きました。

 日本では、平戸、山口で布教活動を行った後、京都に到着しましたが、天皇と足利将軍への拝謁はかなわず、失意のうちに京を去っています。その後は、山口、豊後で布教活動を行い、1551年11月、日本を去り、ゴアへ戻りました。ゴアへ戻ったザビエルは、日本全土での布教のためには日本文化に大きな影響を与えている中国での宣教が不可欠と考え、1552年9月、中国の上川島に渡りましたが、この地で病没。遺体はゴアで埋葬されました。

 その後、遺体は分割されて各地で祀られ、そのうちの右腕は、当初、日本に運ばれる予定でした。しかし、1619年に右腕が日本に持ち込まれた時には、すでに、徳川幕府の下でキリシタンの弾圧が本格化していたため、マカオに戻され、以後約200年間は聖ポール天主堂に保管されます。そして、1835年に聖ポール天主堂が焼失した際にはからくも持ち出されて難を逃れ、聖アントニオ教会に移されます。1928年、南のコロアネに聖フランシスコ・ザビエル教会が建立されるとそこに移されましたが、その後、現在の聖ヨゼフ聖堂に収められています。

 なお、拙著『マカオ紀行』では、マカオに残るザビエルゆかりの地をいろいろとご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。


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