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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ソウルの少女像問題
2011-12-14 Wed 23:45
 韓国の民間団体“韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)”が、きょう(14日)、ソウルの日本大使館前の路上に、いわゆる従軍慰安婦を連想させる少女のブロンズ像を設置しました。日本政府は、加盟国が自国内にある外国公館の威厳侵害を防ぐ措置を取るよう定めたウィーン条約に反するとして、ただちに韓国政府に抗議しましたが、韓国政府は関与できる問題ではないとして黙認。像が撤去される見通しは立っていません。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        日韓国交正常化20年(日本)

 これは、1985年に発行された日韓国交正常化20年の記念切手です。日韓国交正常化20年の切手は、日韓両国で発行されていますが、韓国側の切手については以前の記事でもご紹介しましたので、今回は日本側の切手を持ってきました。

 第2次大戦以前、日本は朝鮮半島を統治していました。これに対して、朝鮮の独立運動家たちは大韓民国臨時政府を組織し、1941年12月、いわゆる太平洋戦争の勃発に合わせて日本に対して宣戦布告を行いましたが、そもそも臨時政府の正統性が国際社会から認知されていなかったこともあって、この宣戦布告には国際法上の効力はないものとするのが一般的な見解です。

 1945年の日本の敗戦により、朝鮮半島は北緯38度線を境界線として米ソに分割占領されました。その後、国連の監視下で独立政府樹立のための総選挙が行われることになりましたが、ソ連は自らの占領地域への国連調査団の立ち入りを拒否。このため、1948年5月、南半部のみでの単独選挙がおこなわれ、同年8月、選挙が行われた地域に大韓民国(以下、韓国)が発足しました。一方、選挙が行われなかった北半部には、同年9月、ソ連の衛星国として朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)が樹立されました。

 連合諸国の対日講和条約が具体的に議論されるようになると、韓国政府は大韓民国臨時政府による対日宣戦布告を根拠として、戦勝国として講和条約に調印することを主張しましたが、国際社会からは相手にされませんでした。また、1951年9月、サンフランシスコで対日講和条約が調印された時点では、朝鮮戦争の最中だったこともあり、韓国は講和会議に招待されていません。

 このため、サンフランシスコ講和条約調印後の1951年10月、あらためて日本と韓国との国交樹立に向けた予備会談が行われ、1952年2月から、国交正常化交渉(第1次会談)が始まりました。

 会談では、“戦勝国”として日本に対して賠償を要求する韓国と、植民地支配は国際法上合法として、逆に、韓国内で接収された旧日本資産の補償を主張する日本との間で議論が平行線をたどり、同年4月には早くも無期延期となっています。

 1953年4月、ようやく第2次会談が再開されましたが、今度は同年6月、韓国側が朝鮮戦争の休戦成立に備える必要から中断。さらに、同年10月の第3次会談では、日本側代表の久保田貫一郎(外務省参与)が「日本としても朝鮮の鉄道や港を造ったり、農地を造成したりした」、「当時、日本が朝鮮に行かなかったら中国かロシアが入っていたかもしれない」などと発言したことに韓国側が激昂。会談は決裂し、国交正常化交渉は1958年4月まで中断されました。

 1961年5月、軍事クーデターで政権を掌握した朴正熙は、経済開発のための外資導入には日本との関係改善が不可欠との立場から、同年11月、訪米の途上でみずから日本に立ち寄り、日本の首相・池田勇人と会談。以後、中央情報部長の金鐘泌を日本に派遣して秘密交渉を開始し、最大の懸案であった賠償問題については、韓国側の“請求権”に応じ、日本側が無償経済協力3億ドル、政府借款2億ドル等を支払うことで、1962年2月、大筋の合意に到達しました。

 賠償ではなく請求権という語が用いられたのは、戦争による被害の賠償ではなく(そもそも、日本と韓国は戦争をしたことがないというのが国際社会の一般的な理解です)、植民地時代に累積した債権を韓国側が請求するということで政治決着がはかられたためです。なお、条約上は、いわゆる従軍慰安婦を含め民間人への補償もこの中に全て含まれています。じっさい、解放後に死亡した者の遺族、傷痍軍人、被爆者、在日コリアンや在サハリン等の在外コリアン、元慰安婦らは補償対象から除外したのは、ほかならぬ韓国政府です。

 ちなみに、当時の韓国の国家予算は約3.5億ドルですから、“請求権”によって得られた資金が、韓国にとっていかに巨額のものであったか、お分かりいただけると思います。こうした日本からの資金と、ベトナム戦争に派兵したことによって得られたアメリカからの経済援助をもとに、韓国政府は道路やダム・工場の建設などインフラや企業に集中的な投資を行い、“漢江の奇跡”と呼ばれた高度経済成長を実現しました。現在、韓国が全世界的に見れば先進国の一角に挙げられるようになったその原資は、もとをただせば、そのかなりの部分が日本からの資金によるものだったのです

 したがって、日韓基本条約に伴って日本から得た資金を、当時の韓国政府が個人補償に使わなかったことは、大局的に見れば正しい判断だったといえましょうし、わが国がとやかく言うべき筋合いのものではありません。

 なお、いわゆる従軍慰安婦についても簡単に説明しておきましょう。

 この問題が政治問題化した発端は、1991年8月11日付の『朝日新聞』が「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、売春行為を強いられた“朝鮮人従軍慰安婦”の一人が名乗り出た、と報道したことにあります。

 『朝日新聞』は、『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』(1981年・三一書房)の著者・吉田清治が、1943年に軍の命令で「挺身隊」として、済州島で女性を“強制連行”し慰安婦にした“体験”を発表したことを根拠に、1991年から翌年にかけて繰り返し報道し、その過程で上述の記事が飛び出したというわけです。

 1945年以前、日本軍は戦地に慰安所を設けていました。これは、現代の視点からすれば問題があるでしょうが、公娼制度が認められていた当時にあっては“必要悪”とみなされていました。また、戦地という特殊な状況である以上、開業する公娼業者に対しては、移動や営業状態の監督などで軍が関与していたのは当然でのことです。それゆえ、本来の論点は、現地の慰安婦たちが、本人の意思に反して、日本軍により組織的に集められたのかどうか、という点にあります。

 この点に関して、1991年8月15日付の『ハンギョレ新聞』は『朝日新聞』に取り上げられた女性の証言として「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」と報じています。これを読む限り、この女性のケースは、当時の日本国内でもしばしば見られた気の毒な身売り話と同じで、日本軍の組織的な関与は認められません。

 しかし、“軍によって強制連行された朝鮮人慰安婦”の物語は韓国社会に大きな衝撃を与え、一般の韓国世論は日本時代の“蛮行”に憤激。1992年1月に訪韓した日本の首相・宮沢喜一は首脳会談で謝罪し、宮沢首相が韓国から帰国すると、日韓両国でこの問題についての本格的な調査が開始されることになります。

 その結果、吉田の著書で“慰安婦狩り”の舞台とされた済州島の城山浦では、日本時代を知る老人たちが「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語って吉田の証言を否定。さらに、現地調査を行った現代史家の秦郁彦が、地元の女性から「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮したこともあったのだとか。

 さて、今回、日本大使館前に少女像を設置した挺対協は、いわゆる元慰安婦を支援すると称して活動を行っている市民団体で、日本軍が組織的に朝鮮人女性に対する“慰安婦狩り”を行ったことに対して、日本政府に対して公式の謝罪、責任者の処罰、国家賠償を求めて活動しているそうです。しかし、そもそも、いわゆる慰安婦についての彼らの主張は歴史的事実と異なっていますし、国家賠償の問題も1965年の日韓基本条約ですでに解決済みとなっていることは、今回の記事で縷々ご説明したとおりです。

 したがって、正確な歴史的事実を一人でも多くの韓国人に知ってもらい、そのうえで、挺対協のバカげた主張を韓国人みずからが否定し、少女像を彼ら自身の手で撤去するというのが本来あるべき姿なのですが、まぁ、現実にはなかなかそうはならんでしょうな。

 
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