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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 金正日亡くなる
2011-12-19 Mon 16:32
 北朝鮮の朝鮮中央テレビは、きょう(19日)正午の特別放送で、同国の最高実力者、“将軍様”こと金正日がおととい(17日)亡くなっていたと報じました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        金正日最初の切手

 これは、1987年2月16日、金正日35歳の誕生日に北朝鮮が発行した記念切手で、金正日の肖像を大きく取り上げた切手としてはこれが最初のものとなります。

 金正日は、1942年2月16日、父親の金日成がソ連領内で軍事訓練を受けていた時期に、ハバロフスク近郊のヴャツコエの野営地で生まれました。ただし、北朝鮮当局は彼が北朝鮮領内の白頭山中で生まれたと主張しています。なお、生まれたばかりの金正日は、ロシア風にユーリ・イルセノビッチ・キム、愛称ユーラと名付けられました。ちなみに、イルセノビッチというのは、ロシア語の習慣で父親の名前をミドルネームとして入れるのに倣ったものです。こんにち、われわれにもよく知られた“ジョンイル(漢字表記は、当初、正一とされていたようです)”と彼が名乗るようになったのは、北朝鮮とソ連との関係が冷却化した1960年ごろのこととされています。

 解放後の1945年11月、母親とともに帰国し、1949年9月、平壌南山学校人民班に入学。なお、学校入学直後、母親が亡くなっています。

 1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると、中国吉林省に疎開。以後、戦局の推移にあわせて転向を繰り返し、休戦後の1954年9月、平壌第一初級学校を卒業しました。その後、南山高級中学校を経て1960年9月、金日成総合大学経済学部に入学。1964年3月に「社会主義建設における郡の位置と役割」と題する卒業論文を提出して大学を卒業しました。なお、同論文は同年2月25日に父親・金日成の名前で発表された「わが国社会主義農村問題に関するテーゼ」を題材としたもので、実際の筆者は金正日ではなく、後に社会科学院の院長となる経済学者の全勇植だったといわれています。

 大学卒業後の1964年6月、金正日は、朝鮮労働党の秘書局党組織指導部に配属され、金日成の後継候補者としての道を歩み始めました。1967年5月に開催された朝鮮労働党中央委員会第4期第15次全員会議において、甲山派(抗日闘争期、朝鮮内で金日成らの活動を支援したグループ)粛清の契機を作り、思想闘争の先頭にたって、唯一思想体系を樹立するための思想教育に尽力したとされています。

 1972年4月、金日成還暦記念事業の実質的な責任者として采配をふるい、特に、革命歌劇『血の海』の上演を成功させたことで、金日成らパルチザン世代の信頼を獲得。その後、1973年9月には党組織および宣伝煽動工作担当の党秘書に、1974年2月には党中央委員会政治委員会委員ならびに党政軍担当秘書に、それぞれ就任し、金日成の後継者であることが確定されました。また、この時期、彼は三大革命小組運動の発動(1973年春)や、「全社会を金日成主義化するための党思想事業の当面のいくつかの課題について」と題するテーゼの発表(1974年2月)、「党の唯一思想体系確立の十大原則」の発表(1974年4月)、等を通じてイデオロギー解釈権の事実上の独占に成功。これに伴い、1974年2月以降、北朝鮮においては“党中央”との呼称が金正日を指すことになりました。

 ただし、この段階では、金正日じしんが公式の場に登場したり、彼の名が公式報道に取り上げられたりすることはなく、その活動などは一部の人間が知りうるのみでした。

 金正日が公式の場に登場するのは、1980年10月の朝鮮労働党大会以降のことで、同大会において、彼は党中央委員に選出されました。これを受けて、党大会直後に行われた党中央委員会第6期第1次全員会議で、彼は政治局・秘書局・軍事委員会の主要三機関のすべてにおいて役職を獲得。当時、主要3機関のすべてにおいてポストを有していたのは、彼以外には金日成だけでしたから、この人事により、金正日は北朝鮮において金日成に次ぐ立場を確保したことになります。これに伴い、彼は党実務をほぼ全面的に金日成から委任されています。

 金日成の後継者としての地位を名実ともに確保した金正日は、金日成の神格化を進めることで、自らの金日成に対する忠実さと「偉大な経綸」を誇示しようとしました。このために行われたのが、1982年4月にあわせて計画された金日成古希記念事業と同記念碑的建造物(主体思想塔や凱旋門など)の造営でした。これらは北朝鮮経済にとっては過大な負担となり、2次7ヵ年計画を挫折させる要因となりました。しかし、その後も金正日は、1988年のソウル・オリンピックに対抗して、1989年7月、平壌で世界青年学生祭典を開催し、それに合わせて競技場などの巨大施設を次々に建造するなど、北朝鮮の経済事情を省みない大型建設事業を継続。1980年代半ばになると、ポスト金日成体制をにらんで、金日成のカリスマ性を永続させるために「永生」概念を主体思想に導入し、主体思想を「社会政治的生命体」を軸とする宗教思想化しました。

 これと並行して、金正日の指揮の下、日本人をはじめ世界各国での拉致事件韓国大統領暗殺未遂事件大韓航空機爆発事件、麻薬等の密輸や偽札の製造・使用など、各種の国家テロや犯罪が行われています。このうち、日本人拉致については、2002年に小泉純一郎が日本の首相として初めて訪朝した際、金正日自身が認めていることは周知のとおりです。

 1990年代になると、金日成から金正日への権力世襲は最終段階に入り、1991年12月の朝鮮人民軍最高司令官就任、1992年4月の元帥称号獲得、1993年4月の国防委員会委員長就任などを通じて、軍に対する金正日の指導権を確保するための措置が採られるようになります。

 ところで、朝鮮人民軍最高司令官となった金正日は、1992年5月の板門店での北朝鮮兵士による越境銃撃事件、1993年3月の「準戦時体制」の宣布(同年の米韓合同軍事演習、チーム・スピリットに対応したもの)、核拡散防止条約(NPT)からの脱退、同年5月の「ノドン一号」ミサイルの日本海能登半島沖への発射実験など、アメリカとの直接交渉の機会を得るため、あえて対外強硬政策を展開するという瀬戸際外交を展開しました。このため、極東全体の緊張は著しく高まり、事態に危惧を抱いた金日成が事態収拾のためにみずから乗り出し、同年6月には、金正日の朝鮮労働党政治局常務委員・党書記の資格が一時停止されることもあったといわれています。

 1994年7月8日、金日成が亡くなると、金正日はその後継者として、事実上、北朝鮮最高指導者となりましたが、正式な肩書きとしては、1997年7月に「満三年喪」が明けるのを待って、同年10月、朝鮮労働党の総書記として推戴されました。また、1998年9月には、同年4月の憲法改正により事実上の国家元首となった「国防委員長」に再任され、おととい亡くなるまで、名実ともに北朝鮮の独裁者として君臨することになりました。

 さて、今回、金正日が亡くなったことで、とりあえずは、2010年9月に後継者に指名された3男の金正恩をトップに戴く体制(ただし、彼自身は3年間の服喪期間中は、先例に倣って、新たな役職に就くことはないでしょうが…)に移行することになるわけですが、いかんせん、金正恩は若年で政治的な実績がほとんどありませんからねぇ。彼自身が北朝鮮国家を切り盛りしていくのは不可能でしょうし、“三代目”を担いで金正日の義弟の張成沢や軍の実力者が実権を握るにしても、当面は先代の権威を最大限に活用せざるを得ないでしょう。

 ちなみに、「売り家と唐様で書く三代目」との川柳は、辞書風の説明によると、「初代が苦心して財産を残しても、3代目にもなると没落してついに家を売りに出すようになるが、その売り家札の筆跡は唐様でしゃれている。遊芸にふけって、商いの道をないがしろにする人を皮肉ったもの。」ということですが、北朝鮮国家の場合は、初代の時代から国家破綻の状態にありましたからねぇ。“売り家”で生活していかざるを得ない国民(彼らは共和国公民というんでしたっけ)が気の毒ですな。ほんとに。


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