FC2ブログ
内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 試験の解説(2006年1月)-3
2006-01-30 Mon 15:01
 1日間が空きましたが、試験問題の解説を続けましょう。

 問題D この切手(↓ 画像はクリックで拡大されます)について、歴史的背景を踏まえて説明せよ。

封鎖の罪

 1991年の湾岸戦争後しばらくの間、イラクは、戦争による打撃に加え、国連の経済封鎖(クウェイト侵攻から4日後の1990年8月6日に安保理で採択されたもので、この時点では、イラク国内の非人道的行為の停止を含む全ての停戦決議の履行がない限り、イラクに対するいっさいの輸出入が禁止されていた)によって、経済的にどん底の状態にありました。

 しかし、1995年ごろから、事態は少しずつ変化し始めます。国連によるイラクへの経済制裁に対して、諸外国からも不満の声が高まっていったからです。

 そもそも、湾岸戦争の直前、食糧自給率が3割程度しかなかったイラクに対して、食糧を含む輸出入を禁ずることに対しては、経済制裁が開始された当初から、人道上の理由で反対する声が欧米でも少なくありませんでした。また、潜在的な域内大国であるイラクとの経済関係を遮断することは周辺諸国にとって多大な経済的犠牲を強いることになりました。さらに、産油国イラクとの交易再開を求める声は、終戦から3年以上経過すると、西側諸国の間でも無視できないものとなっていましたし、戦争被害に対する補償や国連自身のイラクでの活動に必要な資金をまかなうためにも、イラクに一定の石油を輸出させ、その代金を活用すべきだという案は国連にとっても魅力的なものでした。

 その結果、1995年4月、半年間に20億ドルを越えない範囲での石油輸出を許可し、食糧・医薬品などの人道物資の輸入を認めるという国連安保理決議986号が採択されます。当初、イラク側は、経済制裁の完全解除を求めて同決議を拒絶したが、1996年に入ってこれを受諾し、同年12月から原油の輸出を再開しました。

 こうした国際世論の風向きの変化を察知し、イラクは国家のメディアである切手上でも経済制裁の非人道性を強く訴えるため、1995年8月6日、イラク郵政は“封鎖の罪”と題する切手を発行しました。それが、今日ご紹介している切手です。

 切手は、有刺鉄線に囲まれたイラク地図の中に恨めしそうな表情の母子を描くもので、経済制裁の非人道性をストレートに訴えるデザインとなっています。また、地図の中央には、ハムラビ法典の碑文が描かれているが、これは、“目には目を”という同法典のイメージを用いて、制裁に加担する側も相応の犠牲を払っていることをアピールしようとしたのでしょう。なお、切手が発行された8月6日は、切手発行の5年前、クウェイト侵攻後、イラクに対する経済封鎖を決めた安保理決議661号が採択された因縁の日付でもあります。

 国際的に孤立するイラクにとって、経済制裁の非人道性を訴えて国際世論を喚起することは、制裁の継続を主張する米英に対抗し、国際社会への政治的復帰を実現するための数少ない有効な手段でした。こうした切手が実際に郵便物に貼られ、全世界を流通することによって、イラクは切手をメディアとして活用し、自国に有利な国際世論を喚起しようとしたのです。

 試験の解答としては、①湾岸戦争後のイラクに対する経済制裁、②それが各国にもたらした影響、③国際世論の亀裂を利用したイラクのプロパガンダ、といったポイントが上手くまとめられば、OKです。

スポンサーサイト

別窓 | イラク | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<< 試験の解説(2006年1月)-4 | 郵便学者・内藤陽介のブログ |  祈年殿>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/