内藤陽介 Yosuke NAITO
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 沖縄復帰40年
2012-05-15 Tue 17:23
 1972年5月15日に沖縄が祖国復帰を果たしてから、きょうでちょうど40年です。というわけで、きょうは返還前後に世間を騒がせたこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        守礼門復元

 これは、1958年に沖縄で発行された守礼門復元の記念切手です。
 
  アメリカ施政権下の沖縄では、1948年7月1日から“琉球郵便”の表示の入った正刷切手が発行・使用されていましたが、これらの沖縄切手も、復帰から20日間の移行期間を経て、1972年6月3日限りで使用禁止となりました。このため、この移行期間を利用して、日本切手と沖縄切手のコンビメーションカバーが収集家によって多数作られています。なお、公衆手持ち分の​沖縄切手に関しては、那覇中央局(復帰後は那覇局と改称)・名護局・宮古局・八重山局では8月31日まで、その他の沖縄県内の局では6月30日までの間、日本切手との交換が行われ、その後の残った沖縄切手は焼却処分となりました。

 ところで、本土への復帰を前にした1971年12月10日、琉球政府郵政庁は突如、1972年1月10日をもって沖縄切手の通信販売の受付を停止すると発表します。これに伴い、1月10日以降、復帰までの間に新切手が発行されなければ何も問題はなかった​のですが、実際には、郵政庁は海洋シリーズをはじめ、新たな記念特殊切手を発行し、その発売を窓口に限定してしまったことから、混乱が生じます。そして、こうした状況の中で、伊藤淳也の切手投資センターを中心とした切手投機の集団が暗躍することになるのです。

 1969年から1970年にかけて、大阪万博を契機とした好景気が日本中を覆う中で、記念切手のブームが到来すると、一部の記念切手の市価が大幅に値上がりし、そのことがマスコミなどで批判​的に取り上げられることが少なからずありました。このため、批判を恐れた郵政省は、記念切手の発行枚数を大幅に増やし、市価の“​暴騰”を防ごうとしました。たとえば、1971年の切手趣味週間​の切手(「築地明石町」)の発行枚数が、趣味週間切手としては過去最高の4300万枚となったのもそのためです。

 これに対して、それまで投機的な思惑買いをしていた一部業者の​中には、郵政省の施策によって日本の新切手の値上がりが期待できないと判断し、“投資”の対象を日本切手から沖縄切手へとシフトする者が現れはじめました。

 こうした状況の中で、伊藤らは、本土復帰を前に琉球政府郵政庁​が通信販売の受付を停止したことを奇禍として、“入手困難な沖縄​切手”を一般向けに大々的に宣伝し、1958年10月18日発行の「守礼門復元記念」の切手(以下、守礼門切手)を中心とした沖縄切手の投機的な売買を仕掛けていきます。三越をはじめとする有名百貨店では切手投資センターを中心とした大掛かりな即売会が開催され、“沖縄切手ブーム”がマスコミなどを通じて大々的に報じられるようになりました。

 こうした動きに煽られるかのように、復帰直前の沖縄では、「返還協定批准」の記念切手が発行された1972年4月17日や、「切手趣味週間」(“最終発行”を意味するFinal Issueの文字が印面に入っていることでマスコミでも大きく取り上げられました)の切手が発行された同月20日、郵政庁の窓口に本​土から飛行機をチャーターしてやってきたブローカーやデパート関係者、彼らに切手を売って利益を得ようとする地元民が殺到し、切手の入手をめぐって怒号が飛び交う混乱が見られました。郵政庁近​隣の路上には「切手高価にて買います」との張り紙をした車が並び​、札束を持ったブローカーが額面合計10ドルの切手を、すぐさま30ドルで買いあさるという光景もみられたことが、一般紙でも大きく報じられています。

 当然のことながら、こうした投機的な動きに対しては、日本郵趣協会(以下、郵趣協会)をはじめとする切手収集家の団体や東京郵​便切手商協同組合(以下、切手商組合)に属する多くの切手商は「1種300万枚も発行された切手が将来的に値上がりするはずがない」として、バブル相場に警告を発します。特に、郵趣協会は機関誌の『郵趣』を通じて大規模な切手投機反対キャンペーンを展開し、社会的にも注目を集めました。

 これに対して、切手投資センター側はマスコミを通じて「全日本​切手商協会(切手投資センターが中心となって組織した団体)の発展を快く思わない業者の妄言である」と反論。さらに、彼らが主催する即売会の会場に「某組合(切手商組合のこと:引用者註)の発行している(カタログでは)守礼門には200円と評価されている​。当方は10枚綴りの1シートを9000円で買い上げている。どつち(ママ)のカタログを信用して良いのだろうか」との掲示を張り出したり、切手評論家を名乗る平岩道夫がマスコミにたびたび登場して切手投資センター発行のカタログ以外は“不当表示”“バカ​な値段”“デタラメ”“インチキ”などとする発言を繰り返すなど、対決姿勢を強めていました。

 しかしながら、切手投資センター側がどれほど言を尽くそうとも​、品薄になったわけでもない沖縄切手の市価が、極短期間に数倍の​暴騰を示すというのは明らかに異常な事態であり、とうてい持続可能なものとはいえませんでした。さらに、切手投資センターと切手​商組合や郵趣協会の対立が“切手界の内ゲバ”として一般紙でも面白おかしく取り上げられたことで切手に対する社会的なイメージが悪化したことに加え、1972年9月2日付で平岩が信用毀損と営業妨害で切手商組合から東京地検の告訴されたこともあって、1972年も終わりに近くなると、伊藤らによって作られた“沖縄切手ブーム”には次第にかげりが見え始めます。

 それでも、1973年の早い時期までは沖縄切手の​投機的な相場はなんとか持ちこたえていましたが、同年3月2日、​国民的な人気を集めていた高松塚の寄付金つき切手に関して、郵政省が「切手投機業者の悪辣なやり方を封じるため」として大規模な増刷に踏み切ると、投機業者は大きな打撃を受けることになります。

 そして、沖縄復帰からおよそ1年が過ぎた1973年5月、投機業者たちはついに高値をつけていた守礼門切手の投売りを開始。同​年6月中旬の『京都寸葉』には、それまで、切手の買入値段表が掲載されていた広告スペースに、「琉球切手は市場不安定のため当分​の間買入を一時休止することに致します」(秀和スタンプ社)、「​日本および沖縄切手ともに、不安定な流動相場のため、当面買い入​れ及び販売を中止致します」(クマノスタンプ社)との文言の広告​が掲載されています。さらに、1964年の新幹線切手のときも投機的な手法で問題となった切手経済社(社長:矢沢敬一郎)は、琉球切手のバブル崩壊がもとで、1973年6月14日と15日の2回にわたって、それぞれ1000万円と160万円の不渡り手形を出し、銀行取引が停止されました。

 こうして、守礼門切手の暴落(ピーク時には全日本切手商協会系​の評価で4000円といわれていましたが、7月の業者間取引では1枚200円になりました)に引きずられるかたちで沖縄切手全体の市価は急落し、およそ1年半にわたって続いた沖縄切手をめぐる投​機騒動は、仕掛け人の伊藤自身がいみじくも「どんな手のこんだからくりも、半年一年と大勢を欺くことは不可能です」と発言していたように、あえなく破綻して終わったのです。


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先日のJAPEX2015である切手の本を手に入れました。タイトルは“趣味の切手全書”、金園社刊。1964年初版発行の同年発行第2版、著者は…あの平岩道夫氏です。そう、後に沖縄切手の投機に加担したとして郵趣会では評判の宜しくない人物です。 何しろ発行が東京オリンピックのあった年ですから、もう半世紀も前の本です。表紙カバーは裏から土地分譲のチラシで補強してありました(これも、時代モノ…?)。とあ... …
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