内藤陽介 Yosuke NAITO
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 厦門英国局のカバー
2012-05-18 Fri 21:47
 中国建国以来最大の密輸・汚職事件とされる“厦門事件”の主犯格とされる頼昌星被告に、きょう(18日)、中国福建省厦門市の裁判所は無期懲役の判決を言い渡しました。というわけで、きょうは厦門に絡めてこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        厦門カバー

 これは、1892年3月10日に厦門の英国局からドイツ・ハンブルク宛に差し出されたカバーで、ヴィクトリア女王の香港切手5セントが2枚貼られています。

 厦門は福建省の南部、台湾海峡を挟んで台湾の対岸に位置しており、古くは“下門”と呼ばれていました。アモイという欧米での呼称は、この下門の閩南語の発音エームイがもとになったと考えられています。

 現在の厦門という呼称は、明代の1387年に廈門城が築かれてからのことで、明末清初の鄭成功はこの地を反清運動の根拠地の一つとして戦いました。1840年にアヘン戦争が勃発すると、1841年にイギリス軍に占領され、翌1842年の南京条約によって開港となり、1860年代以降、茶葉の積出港として海外に知られるようになりました。

 郵便に関しては、南京条約後の1844年に英国局が開設されたとの記録がありますが、実際の使用例としては、1846年3月15日付でイギリス・アバディーン宛に差し出されたカバーが最古とされています。1858年には英本国から“AMOY PAID”の表示のある円形の朱印が配給され、1859年から使用されました。1862年に香港切手が発行されると、アモイの英国局にも香港切手が支給され、A1ないしはD27の抹消印が使用されています。A1の印は1882年まで、D27の印は1884年まで使われましたが、その後は、AMOYの地名表示が入った円形の印を用いて、1922年の閉局まで、切手の抹消が行われました。

 なお、厦門以外の英国局での香港切手の使用例については、拙著『香港歴史漫郵記』でもいくつかご紹介しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 ちなみに、厦門事件は、民間企業「遠華集団」元社長・頼昌星が煙草や自動車など計約274億元(約3425億円)相当の物資を密輸し、関税など計約140億元(約1750億円)を脱税。発覚を逃れるため政府職員64人に不動産や現金など計約3912万元(約4億8900万円)相当を贈ったとされる事件です。

 一連の事件では、福建省党委書記にして共産党政治局常務委員ナンバー4の賈慶林(人民政治協商会議主席)の妻らが関与した疑惑を指摘されており、頼が真相を語れば、中国政治を揺るがしかねないとの見方も出ていました。頼は1999年にカナダに亡命していましたが、昨年7月、亡命先のカナダから中国に強制送還。カナダの法令では、死刑の恐れがある場合は出国させてはならないと定められているため、他の密輸事件では死刑判決が出ているにもかかわらず、今回の無期判決となったというのが表向きの解説ですが、頼の生命をとりあえず保証することを条件に裏取引が行われた可能性も十分にありそうです。

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