内藤陽介 Yosuke NAITO
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 110万PV
2012-09-21 Fri 11:37
 きのう(20日)、カウンターが110万PVを超えました。いつも、閲覧していただいている皆様には、この場をお借りして、改めてお礼申し上げます。というわけで、額面“110”の切手といえば、やはりこの1枚でしょうか。(画像はクリックで拡大されます)

       桂離宮

 これは、1966年12月5日に発行された110円の普通切手で、桂離宮が描かれています。

 桂離宮は京都市西京区桂御園にある離宮で、江戸時代初期の1615年頃、八条宮智仁親王によって基礎が築かれました。智仁親王は後陽成天皇の弟で、1586年、今出川晴季の斡旋によって豊臣秀吉の猶子となり、将来の関白職を約束されていましたが、秀吉に実子(鶴丸)が生まれたために解約となり、八条宮家を創設しました。ちなみに、兄の後陽成天皇は後に智仁親王に皇位を譲ろうとしましたが、天下を取った徳川家康は親王が秀吉の猶子であったことを理由に反対。皇位は後陽成天皇の子、政仁親王(後水尾天皇)が継承しました。もっとも、智仁親王は学問文芸の素養が高く、若いころから和歌と連歌に堪能だった文化人で、そういう人物だったからこそ、桂離宮を造営できたともいえます。そう考えると、むしろ皇位に着けなかったことが、彼の才能を開花させ、歴史に名を残すことになったと考えることも可能でしょう。

 さて、桂離宮の書院は古書院、中書院、新御殿に分かれていますが、智仁親王の時代の時代につくられたのは古書院のみで、残りの書院、茶屋、庭園などは、息子の智忠親王の時代、幕府の財政援助をうけ、数十年間をかけて造営され、約7万平米の広大な敷地に「源氏物語」になぞらえた回遊式庭園が完成しました。

 八条宮家は常磐井宮、京極宮、桂宮と名前を変えた後、明治維新後の1881年に断絶したため、離宮は1883年から宮内省の管轄になり、第二次世界大戦後は、宮内庁が管理しています。

 なお、桂離宮に関しては、今回ご紹介の切手のほか、新書院の長押につけられている水仙の釘隠しが昭和50年用の年賀切手に取り上げられています。こちらの切手が発行された当時の社会背景については、拙著『年賀状の戦後史』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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