内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ベイルートで自動車爆弾テロ
2012-10-20 Sat 17:25
 きのう(19日)、レバノンの首都ベイルート中心部で自動車爆弾による大きな爆発があり、国内治安機関トップのウィサム・ハッサン氏を含む少なくとも8人が死亡、78人が負傷しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

         ベイルートOMF

 これは、1920年5月20日、ベイルートからアレッポ宛に差し出されたカバーで、OMF加刷の3ピアストル切手が貼られています。

 第一次大戦中、英仏はサイクス・ピコ秘密協定を結び、戦後、現在のシリア・レバノンならびにイラクの北部にほぼ相当する地域はフランスの勢力圏とすることを規定しました。しかし、大戦が終結した時、フランスはベイルートやアレクサンドレッタラタキア対岸のルアド島などを占領していたものの、その占領地域はごくわずかで、ダマスカスを解放したのはファイサルのアラブ軍とアレンビーのイギリス軍でしたし、内陸部の広大な地域はイギリスの占領下に置かれていました。さらに、フサイン・マクマホン書簡での密約(アラブがイギリスと共にオスマン帝国と戦えば、戦後、アラブの独立国家樹立を認めるというもの)もあって、シリア地域では、ダマスカスの陥落とともに、ファイサルを首班とするアラブ政府の樹立が宣言されていました。

 そこで、大戦の終結によりフランスとアラブの双方から密約の履行を迫られたイギリスは、ベルサイユ会議で、戦後のシリア・パレスチナ地域を、①イギリス支配の南部OETA(敵国領土占領行政区域:Occupied Enemy Territory Administration):現在のイスラエル国境とほぼ同じパレスチナ、②アラブ支配の東部OETA:アカバからアレッポにいたる内陸部、③フランス支配の西部OETA:ティールからキリキア(シリアとトルコの国境地帯で、現在はトルコ領)にいたるレバノンとシリアの海岸地帯、に分割するという妥協案を通します。

 これに対して、フランスは、あくまでもサイクス・ピコ協定の遵守を求め、シリアにおける自国の権利を主張。このため、フランスとアラブの板ばさみとなったイギリスは、1919年9月、シリア地方からの撤兵を表明。これを受けて、同年11月以降、西部OETAではフランス軍が、東部OETAではアラブ軍が、それぞれ、イギリスに代わって占領行政を担当することになりました。

 なお、イギリス軍の撤退を受けて、ファイサルのアラブ政府は自らの存在を既成事実化して国際社会の認知を受けるべく、1920年3月、ダマスカスでシリア国民大会を開催し、ファイサルを国王とする立憲君主国アラブ王国の独立を宣言します。

 しかし、英仏両国はアラブ王国の存在を無視し、1920年4月に始まったサンレモ会議(同年1月に発足した国際連盟の最高理事会)では、フランスは、イラク北部のモースルの支配を放棄する代償として、イギリスに対して現在のシリア・レバノンの地域を自らの勢力圏とすることを最終的に承認させることに成功。当然、アラブ側は完全独立の要求と委任統治の拒否を決議してこれに抗議しましたが、同年6月、英仏両国は、これを無視して、それぞれの勢力圏内での委任統治を開始。全シリアを軍事占領したフランスは、同年7月、ファイサルを放逐してアラブ王国を崩壊させました。

 さて、フランスはこうして支配下に置いた委任統治地域を、レバノン国・ダマスカス国・アレッポ国・アラウィ自治区に分割。各地域に知事を置き、これを高等弁務官が統括するという古典的な分割統治政策を行います。

 このうち、レバノンに関しては、1920年8月、“大レバノン”が設置され、オスマン帝国時代の1860年に設置された旧レバノン県(キリスト教徒自治区)にトリポリ、ベイルート、シドンなどの海岸地区とベカー高原を加えた区域が、内陸シリアとは別の行政単位となりました。この“大レバノン”は、旧レバノン県に比べて面積は2倍以上になりましたが、キリスト教系住民が人口の過半数を維持することを最優先にして、これ以上は拡大されませんでした。これは、フランスが“大レバノン”を、イスラム教徒が多数を占める内陸シリアから分離して、中東支配の拠点として育成しようとしたためです。

 今回ご紹介のカバーは、そうした大レバノン設置直前の1920年5月にベイルートから差し出されたもので、フランス軍事占領下の“シリア”全域で使用するためのものとして、本国切手に“フランス軍事占領(地域)”を示すフランス語(Occupation Militaire Francais)の頭文字O.M.F.ならびに“シリア”の文字が加刷された切手が貼られています。こうしたO.M.F.加刷切手は、大レバノンの創設後もしばらくは有効とされており、大レバノンで独自の切手が使われるようになるのは、1924年に“大レバノン”加刷の切手が発行されてからのことでした。

 さて、今回のテロ事件に関しては、亡くなったハッサン氏が、シリアの関与が疑われているハリリ元首相暗殺事件(2005年)を追及したレバノンの反シリア派の大物で、今年8月には複数の爆弾テロ容疑でサマハ元情報相(レバノン政界で親シリア派の代表的人物)を逮捕していることもあって、ハリリ元首相の息子で反シリアのスンニ派政党「未来運動」のサード・ハリリ党首は事件の黒幕としてアサド大統領を名指しで非難しています。

 これに対して、シリアのゾウビ情報相は「テロリストによる卑劣な攻撃」と事件を批判。アサド政権の支援を受けるレバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラも「(レバノンの)治安を揺るがす陰謀に全政治勢力が団結して立ち向かわなければならない」と訴えるなど、いずれも、事件への関与を否定しています。

 ただし、アサド政権やヒズボラが実際に事件に関与しているかどうかはともかく、シリア内戦の影響がレバノンにも波及してきたことは確実なわけで、状況の推移が注目されるところです。


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