内藤陽介 Yosuke NAITO
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 1897年・日本生まれ
2012-12-18 Tue 18:17
 いままで世界最高齢とされてきた米女性・ディナ・マンフレディニさんが、現地時間17日、アイオワ州ジョンストンの高齢者施設で亡くなりました。これにより、誕生日が15日違いで現在115歳の木村次郎右衛門さん(京都府京丹後市)が世界最高齢になりました。いつまでもお元気ていていただきたいものです。というわけで、木村さんと同じ、1897年の“メイド・イン・ジャパン”をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

         日本版蟠龍・半分

 これは、1897年8月16日に清朝国家郵政が発行した半分切手で、日本の築地活版印刷所で作られたため、日本版蟠龍票と呼ばれています。

 1897年の国家郵政発足以前の中国の郵便事情は、非常に複雑で、実質的な清朝郵政として機能していた海関にくわえ、政府の公用便を運ぶ駅站、地方の官公署の文書を運ぶ文報局、民間の飛脚に相当する民信(日本の飛脚よりも相当に規模が大きく、シンガポール、マレー、ジャワにまで及ぶ通信網を完備していた業者もあった)、開港地に置かれた列強の郵便局、在住外国人の通信組織である書信館などが、それぞれ、併行して文書の通信を担っていました。

 1895年、日清戦争での敗戦という事態に直面した清朝では、日本の明治維新をモデルとして立憲君主制を樹立しようとする変法の運動が起こり、科挙の改革、近代的な学校の建設、農工商業の振興、新式陸軍の建設などの詔勅が次々に発布されました。その一環として、四分五裂状態にあった郵便の統一もはかられるようになり、海関総税務司のロバート・ハートは総理各国衙門を通じて「郵政開辨章程」を上奏。国家郵政発足のための具体的なプランを提案します。

 ハートの上奏案は、1896年3月20日、皇帝の「覧」を得ます。この結果、1897年2月の国家郵政(大清郵政局)の開業へ向けての具体的な動きがスタートし、海関郵政から国家郵政への移行作業が進められました。

 この過程で、郵便料金の基準通貨も、海関時代の銀両から、中国自鋳の銀円(当時、民間では「洋銀」と呼ばれていた)に変更され、新通貨に対応した切手を発行する必要が生じます。

 当初、ハートらは、切手の製造をロンドンのウォータールー・アンド・サン社(Waterlow & Sons Co. Ltd. 中国語では華徳路公司)に発注する予定であったといわれていますが、現実には、ロンドンに切手製造を発注していたのでは、1897年2月の開業までに新切手の到着は、とうてい、間に合いません。このため、応急的な措置として、郵政局は、海関時代の切手に「暫作 洋銀 X分」と加刷した切手を暫定的に発行することとし、上海にあった海関の印刷工場(上海海関造冊處)で加刷作業を行うことで対応しました。これらの切手は、その加刷の文字から、「暫作洋銀加蓋票(加蓋は加刷、票は切手の意)」と呼ばれています。

 こうして、突貫作業が進められた結果、暫作洋銀加蓋票は、国家郵政発足に先駆け、1897年2月2日(光緒23年の元日に相当)から一般に発売されました。

 これと並行して、郵政局は、書信館の切手製造を受注していた実績があり、欧州の印刷所に比べてはるかに地の利がある日本の東京築地活版印刷所(以下、築地活版所)に切手製造を発注します。

 築地活版所は、日本の活版印刷の父と呼ばれる本木昌造の流れを汲む印刷所です。

 本木は、オランダ語の通詞(通訳)として語学のほか諸学に通じた知識人で、幕府直轄の長崎製鉄所の主任・頭取などを歴任し、上海の印刷出版所、美華書館のウィリアム・ガンブルの指導の下、日本語活字の製造に成功しました。ちなみに、現在の日本語活字の主流を占める明朝体は、本木の採用した書体です。

 明治維新後の1869年、本木は長崎製鉄所・頭取の職を辞し、旧士族子弟の教育機関として「新町私塾」を開設。塾の運営費を捻出するために、塾に併設して「長崎新町活版所」を設立しました。翌年には、これを拡張して「長崎活版製造会社」とし、活字の製造ならびに印刷を本格的に開始するとともに、門人を派遣して、大阪(長崎新塾出張大阪活版所、後に大阪活版製造所と改称)、京都(點林堂活版所)、横浜の各地に活版所を開設します。

 もっとも、本木は優れた知識人にして教育者ではあったのですが、経営の才には乏しく事業はすぐに行き詰まってしまいます。このため、門人の平野富二が長崎活版製造会社の経営を引き継ぎました。

 平野は、1877年に石川島平野造船所を設立して現在の石川島播磨重工業の基礎を一代で築いたほどの人物で、本木の期待にたがわず、短期間のうちに長崎活版製造所の経営再建に成功。1871年、本木の門人、小幡正蔵の東京での活字販売が好調なのに目をつけて、翌年以降、本格的に東京での事業展開を開始しました。

 平野は、おりから、大量の布告文書を発していた明治政府に活字を販売したほか、1872年末の太陽暦の採用にともなう新暦5万部の印刷も受注。さらに、新聞・雑誌の創刊ラッシュの中で急激に社業を拡大し、1873年、築地に当時としては東京第一の大工場を建設し、本社機能を移転しました。これが「東京築地活版製造所」の直接のルーツです。

 その後、平野は1883年に築地活版所の上海出張所として、松野直之助を責任者として修文書館を設立します。

 築地活版所の上海進出は、1879年、活字父型を彫刻する熟練の職人を求めて、同社の曲田成が上海に派遣されたのが発端で、後に修文書館は印刷業務一般にも事業を拡大し、1885年には築地活版所から正式に独立。1890年には上海最初の日本語紙「上海新報」(ニュースだけではなく、小説や挿絵も掲載されていた)を創刊しました。ただし、同紙は、翌1891年5月、同紙は日清貿易研究所についての特集記事を掲載したことから、関係筋から圧力を受け、廃刊に追い込まれてしまうのですが…。

 一方、築地活版所の本体は、1884年に印刷部を設置。顧客の印刷業者との競合を避けるため、活字の鋳造と販売を中心としていた体制を転換し、本格的に印刷業にも参入しました。

 築地活版所が経営方針を転換した背景には、佐久間貞一ひきいる秀英舎(現在の大日本印刷)の成功がありました。

 秀英舎は、1876年に設立され、当初は仏教系新聞『明教新誌』の印刷を行っていた。その後、明治初期のベストセラー、スマイルズ著・中村正直訳の『西国立志編』の活版印刷による翻刻版(オリジナルは木版の和装本)の印刷を受注したことから経営を軌道に載せ、1879年からは『東京横浜毎日新聞』の印刷も担当するようになっていました。

 当初、秀英舎は築地活版所から活字を購入していましたが、事業の拡大に伴い、1881年、活字の自家鋳造を開始。翌1882年には活版製造所製文堂を創設し、一般の印刷業者への活字販売を開始して、築地活版所の縄張りに正面から切り込んできます。このため、築地活版所も、活字の製造と印刷を分離するという従来の建前をかなぐり捨てざるをえなくなったのです。

 こうして、築地活版所と秀英舎は、互いに切磋琢磨するかたちで日本の印刷技術をリードしながら急成長を遂げ、その顧客網はアジア諸国にまで広がり、築地活版側は宜昌書信館、鎮江書信館、南京書信館のローカル切手の製造を請け負うことになりました。

 さて、築地活版所の製造した清朝国家郵政の切手は、国家郵政発足から半年後の1897年8月16日に発行されました。

 切手のデザインは、蟠龍(龍が天に昇らず地上にわだかまること)を描くもの、跳ねる鯉を描くもの、飛雁を描くものの3種類がありました。これらの切手は、低額の蟠龍のものにちなんで「日本版蟠龍票」と総称されています。

 なお、日本版蟠龍票の発行から、さらに約5ヶ月が経過した1898年1月28日、日本版蟠龍票とほぼ同じデザインで、ロンドンのウォータールー・アンド・サン社の製造した凹版印刷の切手が発行され、以後、清朝の滅亡まで使用されることになりました。こちらの切手は、日本版と区別して、「倫敦(ロンドン)版蟠龍票」と呼ばれています。

 日本版と倫敦版の両蟠龍切手を比べてみると、どうしても、日本版の方が見劣りしてしまうのですが、これは当時の日英両国の国力を考えれば致し方ないことでしょう。とはいえ、わずか半世紀前、黒船に慌てふためいていた極東の島国が、急激な近代化(=西洋化)を成し遂げて近隣諸国の近代化改革のモデルとなり、隣国の国家郵政創業の際には、切手の製造をも請け負うほどに成長していたことは、記憶に留めておく価値があると思います。


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