内藤陽介 Yosuke NAITO
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 半世紀前の節分
2013-02-03 Sun 14:35
 きょうは節分です。というわけで、ストレートにこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        せつぶん

 これは、いまからちょうど半世紀前の1963年2月3日に発行された「季節の行事切手」第4集の“せつぶん”です。

 節分は、もともとは、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前日をさしていましたが、旧暦の時代では“立春正月”といって、一年の始まりを立春付近に求めたことから、その前日の節分が、現在の大晦日と同じような感覚で重視されることになりました。

 立春の節分に豆をまく“豆まき”の行事は、中国から伝来した“追儺”がそのルーツです。追儺は、弓矢などで悪鬼、厄神などを追い払う行事で、文武天皇時代の706年に宮中で初めて行われました。これが、寺社で邪気を払うために行われていた“豆打ち”と融合して、現在のような節分の“豆まき”になったと考えられています。

 このほかにも、節分に際しては、魔よけのため鰯の頭を柊の小枝に刺して戸口に挿す風習や、恵方に向かって巻寿司を食べる風習などがあります。このうち、巻寿司を食べる風習は、福を巻き込むという意味と、縁を切らないという意味が込められ、主に関西地方で行われていました。それが、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った“巻寿司のまるかぶり”の行事を、マスコミが取り上げ、それを見た全国の食品メーカーが便乗し全国へ広まったものです。

 さて、“せつぶん”の切手の原画は、大塚均によって1962年7月末に最初の3種類が作られました。この3点は、いずれも、子供の豆まきを題材としたものでしたが、服装がそれぞれ、稚児姿、和服、洋服となっていました。

 原画の完成後、大塚は早大演劇博物館長の河竹繁俊の紹介で、風俗研究家で画家の宮尾しげおに考証を求めます。宮尾は、大塚と郵政省の事務官・瀬川清に対して、①稚児の服装は本来は寺で供養等を行うときのものなので一般向けの和服姿のほうが良い、②男女の子供を描く場合には男の子だけが豆をまくようにしたほうが良い、などとアドバイス。これを受けて、8月中旬までに大塚は原画を書き直し、宮尾の校閲を経て、9月3日、洋服姿のものが切手として採用となりました。

 ちなみに、発行枚数は、1000万枚、初日印の指定局は、節分会で有名な成田山新勝寺にちなみ、成田局でした。


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