内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ベルギーでダイヤ47億円強奪
2013-02-20 Wed 16:24
 ベルギーのブリュッセル国際空港で、18日夜(日本時間19日未明)、警察官を装った8人の男が警備会社の車両から航空機に積み込み作業中だったダイヤモンド(以下、ダイヤ)などが入った120の荷物を奪い、車に乗って逃走しました。被害総額は5000万ドル(約46億8000万円)相当で、宝石の巨額強盗事件としては過去最大規模だそうです。というわけで、ベルギーのダイヤにちなんで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

        イスラエル・ベルギー国際切手展

 これは、2001年にベルギー・ブリュッセルで開かれた国際切手展<BERGICA 2001>に際してイスラエルが発行した記念小型シートで、ダイヤが取り上げられています。

 かつてダイヤはインド亜大陸でのみごく少量が産出するだけでしたが、1730年代に入ると、ブラジルからダイヤの原石がヨーロッパに持ち込まれるようになり、アムステルダムやアントワープなどにダイヤの加工場が設立されるようになります。その際、ダイヤの輸入・加工・販売のほぼすべては、ユダヤ系商人が独占していました。

 その後、1860年代にはブラジル産のダイヤは枯渇し始めますが、1866年、アフリカ南部・オレンジ自由国のキンバリーでダイヤの大鉱脈が発見されます。ダイヤを求めて鉱山開発がすすめられていく中で、1881年、ユダヤ系資本のロスチャイルドの支援を得たセシル・ローズがデビアス鉱山会社を設立。同社は、1988年にキンバリー鉱山を買収したのを皮切りに、ウェッセルトン、ヤーガースフォンテインなどの鉱山を買収し、19世紀末までには、当時の生産地の9割以上を支配することに成功しました。

 しかし、ローズ没後の1902年、プレミア鉱山が発見されたほか、1908年にはドイツ領南西アフリカ(現ナミビア)でもダイヤの鉱脈は発見されたこともあって、1870年に年間10万カラットであった生産量は1913年には600万カラットに激増。デビアス社のシェアも大きく低下し、ダイヤの市場価格も不安定になります。

 このため、1930年にデビアス社の会長に就任したドイツ系ユダヤ人のオッペンハイマーは、市場価格を維持するべく、①生産調整を行うためのダイヤモンド生産者組合、②生産されたダイヤを一括して買い上げ、分類を行うダイヤモンド貿易会社、③販売を独占する中央販売機構、という3つの組織を設立。生産調整を行うと同時に、生産実績に応じて販売内容と価格を決定し、利益をプールすることで、生産調整に不可欠な買い入れ資金を得るという循環システムを作り上げ、市場をコントロールすることに成功しました。

 1948年、ユダヤ人国家としてイスラエルが建国されると、イスラエル国家は、ダイヤ産業が伝統的にユダヤ人によって担われてきたことを踏まえて、ダイヤの輸出入には関税をかけないなどの優遇策を講じて国策としてダイヤ産業を育成しました。当初、業界最大手のデビアス社もユダヤ系企業としてイスラエルのこうした方針を支援。この結果、イスラエルのダイヤ輸出は、建国直後の1949年には512万ドルでしたが、1960 年には5632万ドルに 1970年には2億204万ドルに、1980年には14億906万ドルへと飛躍的に拡大しました。

 ところが、急成長を果たしたイスラエルのダイヤ産業は、次第に、デビアス社からの自立を目指すようになります。すなわち、イスラエルは、インド資本を巻き込んで彼らがデビアス社から買った原石を買い取ったり、軍事部門で協力関係にあった南アフリカからデビアス社を通さず直接、原石を買い付けたりするなどして、デビアス社による市場独占のシステムに挑戦。その結果として、デビアス社の傘下にあったアントワープの零細加工業者の間で、数千人規模の失業者が生じる事態となりました。

 恩を仇で返された格好のデビアス社(まぁ、イスラエルに言わせれば、いままでだいぶ高値でつかまされてきたということなんでしょうが)は、1978年、イスラエルに対して原石割当量の20%削減を通告しますが、これを機に、イスラエルは大っぴらに南アなどからデビアス社を通さない原石の直接買い付けで対抗。デビアス社と同レベルの原石在庫を確保します。

 この結果、ダイヤ原石は一挙に供給過剰となり、ダイヤの末端市場価格は大暴落。この間に、イスラエルは(デビアス社から見れば)ダイヤのダンピング攻勢を仕掛けて、1980年には14億 900万ドル(235万カラット)まで輸出を伸ばしました。

 一方、デビアス社は国際金融界を通じて、イスラエルのダイヤモンド産業に融資した銀行や、イスラエルとの直接取引を行ったアフリカ諸国や業者に徹底的に圧力をかけることで対抗。この結果、イスラエルのダイヤ輸出は、1982年には 9億400万ドル、1983年には6億2500万ドルまでに急落し、今度はイスラエル国内のダイヤ産業に数千人規模の失業者が出ることになりました。

 その後、イスラエルがデビアスに妥協することで両者の和解が成立。現在では、原石の買い付けはデビアス社、研磨加工はイスラエルという住み分けが行われています。

 その過程で、デビアス社はもともと世界のダイヤ取り引きの中心地の一つであったアントワープをより重要視するようにになりました。その理由としては、上述のように、イスラエル国家と同社の利害が必ずしも一致しない以上、ダイヤ産業の拠点をイスラエルに置くのはリスクがあることに加え、アメリカの巨大市場であるニューヨークではデビアス社のビジネスモデルは米国独占禁止法その他の法令に抵触すること、さらに、インドや南アフリカなどの生産地はインフラ面伝整備が立ち遅れていることなどもあげられます。

 このような歴史的な経緯を考えてみると、ベルギーで開催の切手展に際して、イスラエルがダイヤの切手を発行するというのは、何とも意味深長な組み合わせで、よくもまぁ、こんな切手を出したものだと唸ってしまいます。

 なお、イスラエルと南アフリカとの関係については、拙著『喜望峰』でも、南アフリカ側からの視点で簡単にまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
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