内藤陽介 Yosuke NAITO
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 おかげさまで8周年
2013-06-01 Sat 08:42
 おかげさまで、2005年6月1日にこのブログをスタートさせてから、きょうでちょうど8周年になりました。日頃、このブログを応援していただいている皆様には、あらためて、お礼申し上げます。 というわけで、きょうは額面8のこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       仏領西アフリカ・戦勝記念

 これは、“第2次大戦勝利1周年”を記念して、1946年5月8日、仏領西アフリカ連邦で発行された額面8フランの航空切手です。

 1939年9月1日、第2次欧州大戦が勃発すると、1940年6月にフランス本国は降伏し、パリを含む北部フランスはドイツに占領され、南部はフィリップ・ペタンを国家主席とし、ヴィシーを首都とする親独派政権の支配下に置かれることになりました。これに対して、ドイツへの降伏を潔しとせず、抗戦継続を主張するシャルル・ド・ゴールらはロンドンに亡命して“自由フランス”を結成。フランス本国が親独派と抗戦派に分裂する中で、植民地政府の対応も割れることになります。

 当初、仏領西アフリカ連邦(モーリタニア、セネガル、仏領スーダン=現マリ、仏領ギニア=現ギニア、コートディヴォワール、ニジェール、オートボルタ=現ブルキナファソ、ダオメ=現のベナン8地域で構成)はヴィシー政権側についていましたが、連合軍がカサブランカ、オラン、アルジェへの上陸作戦を敢行し、1942年11月11日までにこの地域のヴィシー・フランス軍は降伏したため、12月7日、ヴィシー政権から離脱し、自由フランスに合流しました。

 自由フランスに合流後の仏領西アフリカ連邦では、それまで各植民地が個別に発行していた切手に代わり、連邦共通の切手が発行されました。ただし、連邦共通の切手が発行されるようになった後も、1943年以前の各植民地の切手は有効でした。

 さて、自由フランスへの合流後、仏領西アフリカからは10万を超える多数の兵士が動員されました。

 もともと、自由フランスが発足した当初、フランス白人の大半はヴィシー政府によってともかくもフランス国家が存続したことを肯定的にとらえており、ド・ゴールを軍事的に支えたのは仏領赤道アフリカのアフリカ人兵士たちでした。その割合は、最大時、自由フランスの全兵力の3分の2を占めており、1940年の戦闘だけで、1万7000人の“セネガル狙撃兵”が戦死し、多くが枢軸側の捕虜となっています。

 したがって、自由フランス軍の勝利は、アフリカによる多大な犠牲なくしてはありえなかったといえます。こうした記憶は、現在なおフランス社会には生きていて、たとえば、2013年2月、フランス軍の軍事介入によって反政府武装勢力が主要都市から撤退したことを受けてマリを訪問したフランス大統領フランソワ・オランドは「(今回の)フランスの介入でマリとアフリカが第二次大戦の時にフランス側で戦ってくれたことへの借りを返すことができた。フランスが支援を求めている時に来てくれたのはアフリカでありマリ(第二次大戦当時は仏領スーダン)だった。ありがとう、マリ」と演説しています。

 こうした事情を踏まえてさらに、1944年1月、仏領赤道アフリカに属する仏領コンゴの首府、ブラザヴィルで“フランス=アフリカ会議”が開かれ、戦後の植民地政策について、仏領アフリカ植民地と自由フランスの間で議が行われました。

 会議の結果採択されたブラザヴィル宣言では、①原住民制の廃止、②強制労働の廃止、③教育の整備、④工業開発の重視、⑤(戦後に予定される)フランス制憲議会への現地代表参加、⑥フランス国会への現地代表参加、⑦フランス連合の連邦議会の設置、⑧セネガルの植民地議会同様の議会を各植民地に設置、などの項目が、ヴィシー政府打倒後の新政権への勧告として盛り込まれていました。いわば、植民地は戦争協力と引き換えに、戦後の自治権拡大を約束された格好になります。

 1944年8月25日、長らくドイツの占領下にあったパリは連合国によって解放され、ド・ゴール率いるフランス共和国臨時政府が帰国し、ヴィシー政府は事実上崩壊。翌1945年5月にはドイツが降伏し、第二次欧州大戦は終結しました。

 これを受けて、1945年10月21日、憲法制定のための制憲議会選挙が行われ、翌1946年5月5日に憲法草案が制定されて国民投票が行われましたが、否決されたため、6月2日に再度、制憲議会選挙が行われ、再度作成された憲法草案が10月13日に国民投票にかけられて可決され、10月27日、フランス第4共和政がスタートしました。

 この結果、フランス植民地帝国はフランス連合として再編され、仏領西アフリカは第4共和国の一部として本国海外省所管の海外領土となります。制憲議会には、仏領西アフリカからも、ラミヌ・ゲイエ、セダール・サンゴール、フェリックス・ウーフェ・ボワニ、フィリ・ダボ・シソコ、ヤシヌ・ディアロらが出席し、1946年4月には、アフリカの政治家たちの手により強制労働を廃止する法律(「ウフェ=ボワニ法」)、フランス連合内の住民に市民権を認める法律(「ラミヌ・ゲイエ法」)がそれぞれ提出・可決されました。

 もっとも、こうした法改正によっても、国民議会の総議席600のうち西アフリカ代表に割り当てられているのは17議席のみでしたし、植民地に住むフランス白人が選挙人として別個の身分を認められていたのに対して、アフリカ系の選挙権資格には、地方議会・会議所の議員・前職者、組合の現職・前職者、政府職員、常時雇用者、軍人、聖職者、首長・部族長、当時不動産の所有者、運転免許を持つ者、フランス語またはアラビア語の知識を持つ者、などの資格が必要とされており、アフリカ系が実質的に“二級市民”の地位に留め置かれていたことは否定できません。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


 ★★★ イベントのご案内・本日開催です! ★★★

 ・6月1日(土) 11:00- 切手市場
 於 東京・浅草 台東民会館 9階ホール
 詳細は主催者HPをご覧ください。新作の『マリ近現代史』を中心に、拙著を担いで行商に行きます。 会場ならではの特典もご用意しておりますので、ぜひ、遊びに来てください。


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