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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ケイタちがいですが…
2013-08-11 Sun 05:52
 7月28日に投票が行われたマリの大統領選挙は、イブラヒーム・ケイタ元首相が39.2%の得票率で1位となったものの、過半数の票を獲得できなかったため、きょう(11日)、19.4%の得票率で2位となったスーマイラ・シセ元財務相との決選投票が行われます。というわけで、大統領候補とは別人ですが、マリの“ケイタ”を取り上げた切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       サリフ・ケイタ

 これは、1974年のFIFAワールドカップに際して、マリの隣国オート・ヴォルタ(現ブルキナ・ファソ)が発行した記念切手のうち、マリ・サッカー界の英雄、サリフ・ケイタを取り上げた1枚です。

 現在のマリ国家の領域に相当する地域では、“ケイタ”というのはかなりポピュラーな名前で、とっさに思いつくだけでも、今回のケイタ候補の他に、初代大統領のモディボ・ケイタや、今回ご紹介のサリフ・ケイタ、さらにはその甥で同じくサッカー選手のセイドゥ・ケイタなどの名前が上がります。今回、仮にケイタ候補が当選するとなると、新大統領を他のケイタと区別するための愛称のようなものが必要になるかもしれません。

 さて、今回ご紹介の切手に取り上げられたサリフ・ケイタは、1946年12月12日、バマコ生まれ。1963年、16歳の時、国内のプロチーム、レアル・バマコへ入団を果たすと同時にマリ代表に招集され、アフリカ・クラブ選手権に出場しています。そして、8試合で14得点を挙げる活躍を見せて注目を集め、1967年からフランス1部リーグのASサンテティエンヌで活躍しました。

 特に、1970-71年のシーズンでは38試合で42得点を挙げ、1970年のアフリカ最優秀選手に選出。翌1972年2-3月にカメルーンで開かれたアフリカ・ネイションズ・カップでは、ケイタはマリ代表として参加し、祖国を準優勝に導きました。ちなみに、同大会での優勝はコンゴ人民共和国でした。

 カメルーン大会の後、フランスに戻ったケイタは、1972年夏、ASサンテティエンヌからオリンピック・ドゥ・マルセイユに移籍します。

 当時のトラオレ軍事独裁政権を正式に承認したフランス政府は、1972年4月28日、マリ国家元首としてのトラオレのパリ公式訪問を受け入れましたが、フランス国内では独裁政権の人権弾圧についても知られるようになっていました。このため、チームはケイタに対して、亡命してフランス国籍を取得することを強く勧めたものの、彼はこれを拒否してマリの国籍を維持しています。

 アフリカ選手権での準優勝に加えて、その立役者であるケイタがフランス亡命を拒否したことは、独裁政権にとっては、国威発揚の格好の材料となり、トラオレ政権は彼を祖国の英雄と称賛します。しかし、そのことによって、かえってフランス国内に居づらくなった彼は、1973年のオフシーズン、スペインのヴァレンシアCFに移籍しました。

 この移籍に対して、地元のローカル紙『エル・ヴァレンシア』は「ヴァレンシアはドイツ人選手獲得のために出かけたのに、黒人を連れて帰ってきた」と人種差別むき出しの見出しを掲げていましたが、チームやファンは彼を温かく迎え入れ、ケイタは、1976年までヴァレンシアでプレイします。その後、スポルティング・リスボンを経て、1979年に渡米し、1980年のシーズンを最後に引退しましたが、1973年以降はマリ代表チームに加わりませんでした。マリの国籍を保ち、祖国を愛する気持ちは常に持ち続けていても、トラオレ政権に利用されることは避けたかったのでしょう。

 なお、引退後の彼は大学で経営学を学び、その知識を活かしてホテルや不動産事業を展開するかたわら、最初にプロ契約を結んだマリ国内のチーム、レアル・バマコを資金的に援助していました。そして、1989年のトラオレ政権崩壊を経て、1993年、若手選手の育成機関“サリフ・ケイタ・センター”を設立。1997年にはチームをマリ1部リーグに昇格させたほか、2005年から2009年まではマリサッカー協会の会長も務めています。

 こうしたキャリアを見ると、じつは、サリフ・ケイタもまた、マリを代表する人物として大統領にふさわしい人物だったと言えるのかもしれませんな。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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