内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(8)
2013-08-19 Mon 11:07
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』508号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」は、今回は1948年の第一次中東戦争の結果、岩のドームを含むエルサレムがトランスヨルダンの支配下に入り、その結果、トランスヨルダンが現在のヨルダン・ハシミテ王国になったという話を取り上げました。その中から、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       トランスヨルダン・強制貼付切手

 これは、1947年5月31日、トランスヨルダンが発行したパレスチナ救援のための強制貼付切手で、エルサレムの岩のドームが描かれています。

 1948年5月の第一次中東戦争開戦当時、アラブ側は兵員・装備ともにイスラエルを圧倒しており、緒戦の戦局はアラブ側有利で推移していました。特に、トランスヨルダンの精鋭部隊、アラブ軍団は、イラク軍とともに、“岩のドーム”があるエルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区を占領。終戦までこの地を保持しています。

 エルサレム旧市街を占領したトランスヨルダンは、第一次大戦後の旧オスマン帝国領の分割の過程で、1921年、イギリスがヨルダン川東岸地域に委任統治領として設定した区域です。トランスヨルダンという名は、もともとは“ヨルダン川の向こう”という意味で、英国を基準に見ればヨルダン川東岸を意味しています。

 第一次大戦中、英国はメッカの太守であったシャリーフ・フサインに対して、英国と組んでオスマン帝国と戦えば、戦後、“アラブ国家”を樹立するとの密約を結びました。これに応えて、アラブ叛乱を起こしてオスマン帝国と戦い、アラブの英雄となったのが、フサインの息子のファイサルとアブドゥッラーです。

 しかし、大戦後、旧オスマン帝国領は英仏の密約であったサイクス=ピコ協定に沿った形で両国の委任統治領というかたちで分割されてしまったうえ、ファイサルがダマスカスに樹立したアラブ王国はフランスによって解体されてしまいます。当然、ファイサルとアブドゥッラーは大いに不満で、アブドゥッラーは手勢を率いてフランス委任統治領のシリアに攻撃を仕掛けようとしました。

 そこで、兄弟を慰撫する必要に迫られた英国は、ファイサルをイラク王として擁立し、ヨルダン川東岸の地域を“トランスヨルダン”としてパレスチナから切り離して、アブドゥッラーをトランスヨルダンのアミール(首長)として、アンマンに政府を樹立させました。

 その後、トランスヨルダンは1946年にイギリスから独立しますが、時あたかも、隣接するパレスチナではシオニストとアラブ系の対立が激化し、多数のアラブ系難民がトランスヨルダン領内へと押し寄せてくるようになります。こうした状況の下で、1947年5月31日、トランスヨルダンが発行したのが、今回ご紹介の強制貼付切手です。

 日本ではこうした事例はありませんが、諸外国では、戦争や災害などへの義捐金を集めるため、一定の期間、郵便物を差し出す際には、郵便料金とは別に、一定の額面の切手を添付することを義務づけることがあります。そのために用いられるのが強制貼付切手で、1947年のトランスヨルダンの場合は、郵便料金の半額相当の強制貼付切手を郵便物に貼ることが義務づけられていました。

 この時発行された強制貼付切手は、1ミリームから1ポンド(=1000ミリーム)までの12額面。いずれも、英国のトマス・デ・ラ・ルー社製で、デザイナーのヤークーブ・スッカルの制作した図案は、低額面の1、2、3、5ミリーム切手がヘブロンのモスク、中額面の10、15、20、50ミリーム切手がエルサレムの岩のドーム、高額面の100、200、500ミリームおよび1ポンド切手がアッカ(アッコ)の風景、です。

 これら強制貼付切手に取り上げられた風景のうち、地中海に面したアッコは別として、ヘブロンと岩のドーム(があるエルサレム旧市街)は、いずれも、1948年5月に第一次中東戦争が勃発するや否や、トランスヨルダンのアラブ軍団が進駐し、占領しているのは興味深いといえましょう。

 そもそも、第一次中東戦争に参戦したアラブ諸国の大義名分は、ユダヤ人国家イスラエルの建国を阻止し、パレスチナを解放することでした。しかし、現実には、ガザ地区を占領したエジプトと同様、ヨルダン川西岸を占領したトランスヨルダンは、混乱に乗じ、パレスチナの犠牲の上に自国の権益を拡大しようという意図をもって参戦していました。

 彼らが、いつから英国撤退後のパレスチナ(の一部)を占領してしまおうと企図していたかは、定かではありません。しかし、強制貼付切手に取り上げられたヘブロンと岩のドームが、切手の発行からわずか1年後にはトランスヨルダンによって占領されたという事実を見ると、すでに、1947年5月の時点では、トランスヨルダン政府には英国撤退後のパレスチナに進攻して、ヨルダン川西岸地区を占領してしまおうという目論見があったのではないかと思えてなりません。

 その場合、「シオニストの暴虐からパレスチナのアラブ同胞を救え」というスローガンは、自国の領土拡張の戦争にトランスヨルダンの国民を動員するうえで、一定以上の説得力を有することになるでしょう。また、戦争の結果として、パレスチナに独自のアラブ国家が建国されなければ、トランスヨルダンが“同胞のために”パレスチナの占領地を管理するのは正当な行為であるというロジックも導き出されることになります。1947年の強制貼付切手は、まさに、トランスヨルダンによるヨルダン川西岸地区占領を準備するためのプロパガンダの一環として発行されたとみるのが自然でしょう。

 さて、第一次中東戦争は、最終的にイスラエル有利の戦局が確定。1949年2月23日、イスラエルとエジプトの間で休戦条約が調印されたのを皮切りに、3月23日にはレバノンが、4月3日にはトランスヨルダンが、7月20日にはシリアが、それぞれ、休戦条約を調印します。これら各国とイスラエルとの停戦ラインは事実上の「国境」としてイスラエル国家の存在が認知され、同年5月、イスラエルは国連に加盟します。

 エルサレムに関しては、すでに述べたように、旧市街を含む東エルサレムはトランスヨルダンの支配下に置かれ、20世紀以降に建設された新市街の広がる西エルサレムがイスラエルの領土となりました。

 すでに1948年12月1日、アラブ軍団の占領下に置かれていたヨルダン川西岸地区では、現地の親ヨルダン派のパレスチナ人指導者が死海北西岸のイェリコで「パレスチナ・アラブ評議会」を開催し、トランスヨルダン国王アブドゥッラーを「全パレスチナ人の王」とし、同国王に対して西岸地区のトランスヨルダンへの併合を要請する決議を採択。これを受けて、同月13日、トランスヨルダン議会はイェリコでの評議会の決議を全会一致で承認するなど、トランスヨルダン川は西岸地区の併合に向けて着々と準備を進めます。

 そして、イスラエルとの休戦協定成立後の1949年6月、トランスヨルダンはヨルダン川西岸地区と東エルサレムを併合し、新国家「ヨルダン・ハシミテ王国」の建国を宣言しました。これが現在のヨルダン国家です。

 しかし、パレスチナ人の中には、ヨルダンへの併合を潔しとしない者も少なくなかったうえ、戦争を通じて一人大幅に版図を拡大したヨルダンに対して周辺アラブ諸国は大いに反発。1951年7月には、国王アブドゥッラーがパレスチナ人青年に暗殺される事件まで起こりました。

 いずれにせよ、第1次中東戦争の結末は、その契機となった1947年11月の国連決議第181号と比べて、パレスチナのアラブに対して、はるかに大きな犠牲を強いるものでした。

 すなわち、国連決議ではパレスチナを分割し、アラブ国家とユダヤ国家を創設することになっていましたが、アラブ国家は実際には創設されず、国家として成立したのはイスラエルのみでした。また、エルサレムを国連の信託統治下に置くというプランも、東西エルサレムがイスラエルとヨルダンによって分割されることにより、実現されないままに終っています。

 その後、アラブとイスラエルは4次にわたる中東戦争を展開することになりますが、アラブ側が掲げていた“パレスチナ解放”の大義を当初から踏みにじっていたのは、ほかならぬアラブ諸国の側であったことは、しっかりと記憶にとどめておくべきでしょう。
 

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