内藤陽介 Yosuke NAITO
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 台風30号、フィリピンを直撃
2013-11-11 Mon 14:38
 今年発生した中で勢力が最大とされる台風30号が8日、フィリピン中部のレイテ島周辺を直撃。現時点で、レイテ島の中心都市タクロバンは壊滅的な打撃を受け、レイテ州の死者は1万人を超す恐れがあるほか、フィリピンの人口の約9%にあたる950万人近い市民が被害を受ける大惨事になりました。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、一日も早い復旧をお祈りしております。というわけで、きょうは、そのタクロバンにちなんで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       米比戦争・タクロバン発カバー

 これは、米比戦争中の1900年12月、レイテ島タクロバンに駐留していた米兵が差し出したカバーです。

 フィリピンでは、1896年8月、スペインからの独立を求める革命が勃発しましたが、革命側は内紛が続き、戦況は一貫してスペイン有利に展開されていました。こうした状況の下で、1897年5月、革命派内の主導権を掌握したエミリオ・アギナルドは、ともかくも、自らを大統領としてフィリピン共和国(総司令部の置かれていた地名にちなみ、ビアクナバト共和国とよばれることもあります)の成立を宣言するのですが、最終的にスペインと妥協し、半年後の12月20日、80万ペソ(40万米ドルに相当。ただし、この段階でスペイン側がアギナルドに支払ったのは半額の40万ペソ)の補償金と引き換えに香港へ亡命。革命はいったん終結します。

 ところが、皮肉なことに、アギナルドの亡命後、革命戦線はフィリピン全土に急速に拡大。さらに、1898年には米西戦争が勃発し、スペイン領フィリピンに狙いを定めた米国は、アギナルドらを支援して、フィリピンからスペインを放逐することを考えました。

 当初、米国はアギナルドらに対して独立の口約束を与え、これを信用したアギナルドらは亡命先の香港から帰国。1898年5月24日、「偉大かつ強力なるアメリカ合衆国が、この国の自由の確保のために、利害抜きの保護を提供してくれたので」スペイン軍を殲滅して憲法を制定し、政治の組織を完成するまでの間、みずからを総帥とする独裁政府を樹立すると宣言しました。6月12日には、アギナルドの私邸で独立宣言が行われ、米国の独立宣言にならった宣言文が読み上げられたほか、国旗・国歌も正式に披露しています。さらに、アギナルド政府は、8月1日には各地の議員選挙を行い、本部をカビテからマニラ北方のマロロスに移し、フィリピン人のみの第一議会を招集。9月29日には正式に初代大統領に就任しました。

 しかし、米国はアギナルドを裏切り、革命政府抜きでスペインとの講和を進め、同年12月10日、パリで講和条約を調印。この結果、アメリカはフィリピンを2000万ドルで買収することが決定され、アメリカは“友愛的同化”をスローガンとする植民地支配をスタートさせることになります。

 マニラ開城以降の米国の対応は、当然のことながら、フィリピン人の憤激を買い、フィリピンでは反米感情が一挙に高まります。

 そもそも、マニラ開城から米西間の講和条約が調印されるまでの間に、革命軍はルソン島からビサヤ諸島にいたるスペインの支配地域を自力で解放していました。また、新国家にとって記念すべき第一議会が、首都のマニラではなく、マロロスでの開催を余儀なくされたのも、スペインとの密約でアメリカが革命軍のマニラ入城を阻止していた結果であった。このため、革命政府は、1899年1月、マロロスで憲法を発布し、フィリピン共和国(マロロス共和国)を正式に樹立させ、米国の背信を絶対に認めないとの姿勢を内外に明らかにしようとしました。

 こうして、米軍政当局と革命政府との緊張が高まる中、1899年2月4日、米兵によるフィリピン兵2名の射殺事件が発生。これを機に、両者の対立は本格的な米比戦争へと発展しました。

 米軍と革命政府との戦闘は、近代的装備に勝る米軍が終始一貫して革命軍を圧倒し、1899年3月末には革命政府の首都マロロスが陥落。同年11月にはアギナルドが山岳地帯に追い込まれて革命軍は組織として壊滅状態に陥りました。

 これに対して、アギナルド政府の残党は、米軍に対して各地で激しいゲリラ戦を展開。米軍を大いに悩ませています。今回ご紹介のカバーも、こうした状況の下で、ゲリラ討伐に関わっていた米兵が差し出したものです。

 なお、米国の軍事郵便は原則として、米軍の野戦郵便局・軍事郵便局から先は無料扱いですが、差出地から野戦郵便局・軍事郵便局まではその地域の国内便の料金が必要となります。ところが、フィリピンのジャングルなどでゲリラと戦っている兵士たちが、現実の問題として、郵便局まで出向いて“米領フィリピン”の切手を購入することは不可能なため、切手を貼らずに郵便物を差し出すことがしばしば行われました。その場合、郵便物は米国到着時に“不足料切手”を使って国内便料金に相当する2セントが徴収されています。

 米軍はフィリピン・ゲリラを武力で制圧しようとしたものの、実際には、戦闘は次第に泥沼化し、収拾のめどは全く立ちませんでした。このため、1900年3月、マッキンリー大統領の命を受けて現地に派遣されたウィリアム・タフト(後の大統領)は、軍政官アーサー・マッカーサー(日本占領の司令官、ダグラスの父)を抑え、現地住民からなる親米勢力として連邦党を支援し、同党を足がかりとして地方の有力者を取り込むことで、占領行政を安定させようとします。

 その後、1901年3月23日、アギナルドが米軍に逮捕されると、革命軍の指導者の投降も相次ぎ、タフトの支援する連邦党も革命勢力の武装解除に協力して治安状況は急速に改善。1901年7月4日にはタフトを総督とする植民地統治が開始され、翌1902年7月4日、フィリピン平定作戦の終了が宣言されました。

 米国による植民地支配の下、英語による教育の普及とともに、フィリピン社会の対米感情も次第に良好になっていきます。そして、その結果として、フィリピンの独立闘争は、米国による支配を認めながらも、合法的な独立運動を続けようとするものへと変質します。

 ただし、このことは、フィリピン人が独立を放棄して米国の領土であることに満足するようになったということを意味するものではありません。

 たとえば、第二次大戦中、日本軍の占領下で名目的な“独立”が与えられたとき、大統領に就任したホセ・ラウレルが、彼を非難する者に対して語った言葉「誰もフィリピン人以上にフィリピンを愛することはできない」などは、彼らがどれほど“独立(それがいかに形式的なものであったにせよ)”を希求していたか、なによりも雄弁に物語るものといってよいでしょう。

 ちなみに、現在のフィリピン(第3)共和国が、法的に独立を達成したのは1946年7月4日ですが、独立記念日として国家の祝日になっているのは1898年のアギナルド政府が独立宣言を行った6月12日だということは、記憶にとどめておいてもよいと思います。


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