内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(11)
2013-11-14 Thu 03:24
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』517号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」は、今回は、第3次中東戦争前夜の東エルサレムの話を取り上げました。その中から、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       ヨルダン・岩のドーム(1965)

 これは、1964年11月20日、ヨルダンが発行した“岩のドーム(公開)再開”の記念切手で、ドームの全景を大きく描き、国王フサインの肖像を左側に配したデザインとなっています。

 岩のドームの外壁には、1561―62年、オスマン帝国のスルターン、スレイマン1世によってタイル装飾が施されましたが、傷みが激しくなったため、新たにエルサレムの管理者となったヨルダン政府は、1955年以降、アラブ諸国ならびにトルコからの資金援助を得て、大規模な修復作業を行っていました。そのメインの工事にあたる外壁の修復が1964年8月に完成し、一般公開が再開されたことを受けて発行されたのが、今回ご紹介の切手です。

 さて、この切手が発行される半年ほど前の1964年5月、ヨルダン統治下の東エルサレムでは、エジプト大統領ナセルの肝いりで第1回パレスチナ民族評議会が開催され、対イスラエル闘争の統一司令部を設置するという方針の下、パレスチナ解放機構(PLO)の結成が宣言されました。 

 1956年の第2次中東戦争(スエズ動乱)は、英仏の侵攻に屈せず耐え抜いたという点で、エジプトは政治的に勝利を収め、ナセルの権威は絶頂に達しました。しかし、純粋に軍事的な見地から見ると、英仏との密約を背景にエジプト領内に侵攻したイスラエル軍は、いともたやすくガザ地区を占領し、シナイ半島を横断してスエズ運河地帯まで進軍。エジプト軍はそれを阻止することができず、惨敗に等しい状況でした。当然のことながら、イスラエルとの全面戦争になればエジプトには勝ち目はないことをナセルも思い知り、イスラエル打倒の勇ましいスローガンとは裏腹に、本音では、イスラエルとの戦争を回避しなければならないと考えるようになります。

 さらに、アラブ民族主義の理想を体現するものとして華々しく行われた1958年のエジプト・シリアの合邦は1961年9月にはシリアの離反であっけなく崩壊。さらに、1962年に勃発したイエメン内戦に革命政権の要請を受けて派兵したものの、戦況は一進一退の状況が続き、エジプト経済も疲弊していきます。

 PLOの創設は、こうした状況の中で、追い詰められつつあったナセルが起死回生の切り札として持ち出したものでした。

 アラブ諸国としては、さまざまな立場の違いはあっても、「イスラエル国家を打倒してパレスチナを解放する」という原則論には反対できません。したがって、曲がりなりにも、アラブの盟主ということになっているエジプトが、対イスラエル闘争の統一司令部を作るということになれば、賛同・協力せざるをえず、PLOの結成を主導すれば、シリアとの合邦失敗やイエメン内戦への介入などで傷ついた自らの権威を回復する景気となるとナセルは考えました。

 また、統一司令部の傘下にパレスチナ人の武装組織を組み込んでコントロールできれば、強硬派の暴走を抑え、イスラエルを決して本気で怒らせない(=全面戦争には突入しない)程度に“抵抗運動”を継続して、アラブ世論のガス抜きをするという、微妙な調整も可能になるので、まさに、一石二鳥であるというのが、ナセルの本音です。

 もっとも、現実の問題として、武装勢力の中には、ナセルの微温的な姿勢を拒否して、PLOには参加せず、イスラエル領内での武装闘争をエスカレートさせるものも少なくありませんでした。その代表的な存在が、ヤーセル・アラファート(以下、アラファト)ひきいるファタハです。

 当時のアラファトは、テロ活動をエスカレートさせてイスラエルの報復攻撃を引き出せば、アラブ諸国も対イスラエル全面戦争に参加せざるを得なくなると考えていました。このため、ファタハはソ連、東欧はもとより、中国を含む反西側諸国から武器を調達し、戦闘能力を強化していきました。

 かくして、イスラエル国内の世論は次第に“パレスチナ・ゲリラ”への報復を求める強硬論へと傾いていくことになります。イスラエルの政府と国民にしてみれば、PLO傘下の団体であろうとなかろうと、国内の治安を乱すテロリストは駆逐すべき存在にはちがいありません。

 ナセルをはじめ、アラブ諸国の指導者たちは、“反イスラエル闘争”が自分たちの思惑を超えて動き始めたことに困惑を隠せなかったが、そこに、米ソの冷戦がさらなる影を落とします。

 すなわち、エジプトやシリアの民族主義政権は、手持ちの外貨が乏しいこともあって、ソ連からバーター取引で武器を購入していましたが、イスラエルからの要請を受けた米国は、1965年以降、イスラエルに大量の戦闘機や戦車を売却。イスラエルの軍事的保護者としての立場を鮮明にしていきました。

 かくして、パレスチナの地をめぐる緊張は高まり、1967年6月、ついに第3次中東戦争の簿発へとつながることになるのです。


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