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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 コンゴ“人民共和国”の切手
2013-12-02 Mon 15:40
 今年6月、コンゴ民主共和国の首都・キンシャサで、日本大使館が入る建物から火が出て、大使館が半焼した事件で、警視庁は、きょう(2日)、当時、3等書記官として大使館に勤務していた日本人の男を逮捕しました。男は着服を隠蔽する目的で放火した疑いがあるとみられいます。というわけで、コンゴ民主共和国がらみのマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       コンゴ人民共和国の加刷切手

 これは、第2次コンゴ動乱時の1964年、ベルギー領コンゴ時代の切手に“人民共和国(REPUBLIQUE POPULAIRE)”と加刷して発行された切手です。

 1960年、アフリカ諸国が相次いで独立する中で、同年6月30日、ベルギー領コンゴもコンゴ共和国として独立。コンゴ族同盟(アバコ党)の指導者であったジョセフ・カサヴブが大統領に、コンゴ国民運動(MNC)を率いたパトリス・ルムンバが首相に就任しました。

 しかし、コンゴ駐留のベルギー軍撤退問題をめぐり、対外強硬路線のルムンバとベルギー軍が衝突。さらに、混乱の中で、地下資源の豊かなカタンガ州を地盤とするモイーズ・チョンベは、7月11日、ベルギーの支援を受けて、カタンガの独立を宣言。親西側のカサヴブと急進民族主義路線を掲げるルムンバの路線対立もあり、独立間もないコンゴは四分五裂の状態に陥りました。いわゆる第1次コンゴ動乱です。

 ルムンバの要請を受けた国連は、7月14日、安保理決議143を採択。“国連軍”が編成され、カタンガ独立問題へ関与しないことを条件にコンゴに進駐すると、カタンガ政権は豊富な資金力を背景に白人の傭兵部隊を大量に雇い入れ、ルムンバ側からの攻撃に抵抗しました。

 各派入り乱れての泥沼の内戦の中で、1960年9月、大統領のカサヴブが首相のルムンバを更迭すると、ルムンバ内閣は大統領の解任を決議。しかし、CIAの支援を受けた陸軍参謀長ジョセフ・デジレ・モブツ大佐のクーデターにより、ルムンバは逮捕され、殺されます。

 混乱の末、ようやく1961年7月、カサヴブは、カタンガ政権以外の勢力をまとめあげてシリル・アドウラを首相とする挙国一致体制を樹立。これを受けて、国連軍が外国人傭兵の逮捕・追放のための大規模な作戦を開始し、カタンガ政権に対する経済制裁も発動されました。資金源を断たれたカタンガ政権は急速に弱体化し、1963年1月に降伏。チョンベもスペインに亡命し、第1次コンゴ動乱も終結します。

 
 ところが、1964年6月、国連軍が撤退するとピエール・ムレレ率いる共産ゲリラのシンバが中国の支援を得て反乱を起こし、第2次コンゴ動乱が勃発しました。

 ムレレは、ルムンバ亡き後、一時期、外交官としてカイロに赴任した経験を持ち、モスクワ、ベイルートを経て、1962年3月から中国に滞在。ゲリラ戦術や政治教育の方法、銃器や爆発物などの知識と技術を身につけ、1963年7月、秘密裏にキンシャサに戻り、毛沢東主義に倣って農村を拠点に革命運動を展開していました。

 ムレレの“革命”は急速に勢力を拡大し、一時はコンゴの2/3を制圧。革命開始から1964年9月にはスタンレーヴィルで“コンゴ人民共和国”の建国が宣言されました。今回ご紹介の切手は、こうした背景の下、シンバの支配地域で発行されたものです。

 これに対して、窮地に陥ったコンゴ政府は、スペインに亡命していたチョンベを呼び戻して首相に据えるという荒業に打って出ます。チョンベは、アンゴラに逃げていたカタンガ憲兵隊と白人傭兵を呼び戻し、米国やベルギーからの支援も獲得。これで一気に形勢を逆転したコンゴ政府は、1964年11月にスタンレーヴィルへ大攻勢を行い、傭兵部隊やCIA特殊部隊、ベルギー軍特殊部隊の活躍によってシンバ政権を叩き潰し、国号をコンゴ共和国からコンゴ民主共和国に変更しました。

 その後、コンゴ動乱は1965年に米国の支援を受けたモブツ・セセ・セコがクーデターを起こし、独裁政権を樹立したことで終結。モブツ政権は1971年に国号をザイール共和国と改称し、長期独裁体制を維持しました。

 これに対して、1996年11月、ルワンダ、ウガンダ、ブルンジなどに支援されたバニャムレンゲやコンゴ・ザイール解放民主勢力連合(AFDL)などが武装蜂起。周辺諸国をも巻き込んだ第1次コンゴ戦争が勃発し、1997年5月17日、首都キンシャサが陥落してモブツ政権は崩壊しました。これを受けて、国号もザイールからコンゴ民主共和国に戻され、現在にいたっています。

 このように、旧ベルギー領コンゴの独立後の複雑な歴史については、拙著『喜望峰』でも各種のマテリアルをご紹介しながらまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

 
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