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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 カラシニコフ没す
2013-12-24 Tue 11:47
 自動小銃“AK-47”の生みの親として知られるロシアの銃器設計者、ミハイル・カラシニコフ氏(以下、敬称略)が、きのう(23日)、ウラル地方のイジェフスクの病院で亡くなりました。享年94。謹んでご冥福をお祈りいたします。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       モザンビーク独立3周年

 これは、1978年にモザンビークが発行した独立3周年の小型シート(単片の記念切手4種を収めた無目打のモノで、目打状の印刷あり)で、右上の切手にはモザンビークの国章(当時)が、左上にはモザンビーク国旗(当時)が取り上げられています。余白には、初代大統領のサモラ・マシェルによる独立宣言の写真が印刷されています。

 現在のモザンビークの国旗と国章は、切手に取り上げられたものとは若干違うのですが、(モザンビーク政府の説明による)基本的なコンセプトとして、国民の連帯(と社会主義)を示す星、独立への苦闘(あるいは国土の防衛と警備)を示すAK-47、農業と農民を示す鍬、工業と労働を示す歯車、教育を示す本というシンボルは変わらずに受け継がれています。

 描かれている“AK-47”については、モザンビーク独立戦争が始まったのが1964年であることから、厳密にいうと、1949年にソ連軍が正式化したオリジナルのAK-47ではなく、その改良型として1959年に正式化されたAKMをシンボル化したものではないかと思います。ただし、AKMを含め、AK-47から派生した同系統の銃については、一般にAK-47と総称されることも多いので、モザンビーク政府の説明についても、目くじらを立てることもなさそうです。いずれにせよ、AK-47が、一国の国旗・国章に独立の象徴として描かれるほどの重要な存在であったことは記憶にとどめておいてよいでしょう。

 AK-47を設計したカラシニコフは、1919年11月生まれ。独ソ戦が勃発すると戦車長として従軍しましたが、1941年10月に重傷を負いました。この時の経験から、圧倒的な戦闘力のドイツ軍に対抗すべく銃器設計の道を志し、療養中に処女作としてサブマシンガンを設計。この銃自体は軍用として採用されなかったものの、これがきっかけで、当時、ソ連最高の重機設計者として知られていたフィヨドル・バジレヴィッチ・トカレフに才能を認められ、1943年、ソ連最大の兵器工場だったトゥーラ造兵廠に迎えられました。

 トカレフによれば、銃器は緻密・精密な芸術品に近い存在であり、部品と部品の間は「蚊のクチバシも入れるな」「女と抱き合うように密着させよ」という発想に基づいて設計されるべきものでした。しかし、実際の戦場はトカレフの“芸術品”に取ってはあまりにも過酷な環境で、たとえば、薬室にゴミが入ると次の弾が発射できなくなるなどの致命的なトラブルが続出しました。

 そこで、カラシニコフは発想を180度逆転させ、専門教育を受けていない新兵にも扱いやすいよう設計を極端に単純化するとともに、部品と部品の間に“遊び”を作ることで手入れをしやすくしたAK-47を設計しました。新しい銃は、命中精度こそやや劣っていたものの、シンプルな設計ゆえに量産に適していたことに加え、泥汚れなどにも耐える確実な作動性を実現。多くの軍人から信頼を得て、1950年代以降、旧共産圏をはじめ、発展途上国などで急速に普及することになりました。その一方で、ソ連およびロシア政府は、AK-47の製造・売買・使用に関する国際的な規制をほとんど設けていないため、不正な武器ブローカーを通じて、武装民兵、犯罪者、テロリストがAK-47で武装し、世界各国の紛争やテロを悪化させるという負の側面ももたらしています。

 こうした現状に対して、カラシニコフ本人は「銃はあくまで祖国を守るために開発したもので、このような状況は予想しておらず、残念なことである」とコメントしています。このあたりは、ダイナマイトの発明者アルフレッド・ノーベルにも通じるところがありますな。武器イコール悪と短絡的に考えがちな方には、こうした開発者の苦悩はわからないのかもしれませんが…。

 なお、世界の紛争地域にAK-47が蔓延している原因のひとつとして、中国によるAK-47のコピー生産の問題がありますが、この点について、生前のカラシニコフは「中国はライセンス切れにもかかわらず、ロシア政府や関係者にことわりなくAKの生産を続けている。彼らは、買い手さえあればどこにでも売る。それがAKの評価を落とすことになる。開発者としてはきわめて不愉快なことだ。」と嫌悪感をあらわにしていました。このことは、故人の名誉のためにも、決して忘れてはなりますまい。


 ★★★  絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩  ★★★

 2014年1月11日・18日・2月8日のそれぞれ13:00-15:00、文京学院大学生涯学習センター(東京都文京区)で、「絵葉書と切手でたどる世界遺産歴史散歩」と題する講座をやります。(1月18日は、切手の博物館で開催のミニペックスの解説)

 新たに富士山が登録されて注目を集めるユネスコの世界遺産。 いずれも一度は訪れたい魅力的な場所ばかりですが、実際に旅するのは容易ではありません。そこで、「小さな外交官」とも呼ばれる切手や絵葉書に取り上げられた風景や文化遺産の100年前、50年前の姿と、講師自身が撮影した最近の様子を見比べながら、ちょっと変わった歴史散歩を楽しんでみませんか? 講座を受けるだけで、世界旅行の気分を満喫できることをお約束します。

 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


 ★★★ 予算1日2000円のソウル歴史散歩 ★★★   

 毎月1回、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で予算1日2000円のソウル歴史散歩と題する一般向けの教養講座を担当しています。次回開催は1月7日(原則第1火曜日)で、以後、2月4日と3月4日に開催の予定です。時間は各回とも13:00~14:30です。講座は途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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