内藤陽介 Yosuke NAITO
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 太陽節
2006-04-15 Sat 16:34
 今日は4月15日。かの国の“偉大なる首領様”のお誕生日ということで、かの国では“太陽節”という民族最大の祝日に指定されています。となると、『北朝鮮事典』の筆者である僕としては、やっぱり、なんらかの形で首領様の切手を取り上げないわけには行きません。というわけで、今日はあまたある“首領様”の切手の中から、この1枚を持ってきました。

最初の金日成切手

 これは、1946年8月15日、ソ連占領下の北朝鮮(この時点では、朝鮮民主主義人民共和国政府は発足していませんので、“北朝鮮”が正式名称です)で発行された解放1周年の記念切手です。

 中央に大きく描かれているのは、若き日の金日成です。

 ハバロフスク近郊でソ連軍の訓練を受けていた金成柱大尉は、日本敗戦後の1945年9月、ソ連の軍艦プガチョフ号でソ連占領下の北朝鮮にひそかに帰国。同年10月、平壌市北部の箕林里にある公設運動場(現・金日成競技場)で開催された「金日成将軍歓迎平壌市民大会」において、ソ連占領軍司令部の政治委員、ロマネンコから「最も偉大な抗日闘士」としてはじめて一般の北朝鮮市民に紹介されました。

 当時、ソ連占領当局の政治司令官だったレベジエフは、大会は、極東ソ連軍の指揮下の88特別旅団・第1大隊長で金日成の変名を使っていた金成柱大尉を、伝説の抗日英雄・キムイルソンとして紹介し、以後、ソ連子飼いの彼を通じて、占領行政をスムースに進めるための手段として企画されたと証言しています。

 歓迎大会は、ソ連占領当局の大々的な宣伝や共産主義陣営の各種団体による組織的動員などもあり、最低6万人(一説には、30万人とも40万人ともいわれている)が集まり、運動場は立錐の余地もないほどの群衆で埋め尽くされていました。

 開会は午前10時に開始の予定でしたが、実際に始まったのは午前11時過ぎで、中央のひな壇にはソ連第25軍総司令官チスチャコフ大将、先述のレベジエフ少将、民生司令官ロマネンコ少将らソ連軍将校、大会準備委員長の晩植(当時、平安南道人民委員会委員長)や朝鮮共産党幹部などが座っていました。金日成も、当然、ひな壇上にいたのですが、集まった人々は誰も彼のことを知らなかったといわれています。また、舞台には太極旗(旧大韓帝国の国旗で現韓国国旗。当時は、北朝鮮でもこれを国旗として扱っていました)と、戦勝国のソ連・アメリカ・イギリス・中国の国旗が掲げられていました。

 歓迎大会の司会者は、前日、西北五道党責任者および熱誠者大会で朝鮮共産党北朝鮮分局責任秘書に選出された金鎔範で、レベジエフ、晩植、金日成の順序で3名が演説しましたが、金日成が登場したとき、観衆は唖然としたとの証言が数多く残されています。そいうのも、伝説の英雄である“金日成将軍”として紹介された人物が、人々の想像していたような白髪の老将軍ではなく、30代(当時、金日成の実年齢は33歳)の若者だったからです。

 しかも、彼は軍服や人民服ではなく、背広にネクタイ姿(ソ連軍通訳・姜ミハエル少佐からの借り物といわれています)、ソ連軍の勲章をつけていました。後見役のレベジエフは、ソ連軍の勲章をつけると金日成がソ連の傀儡であることが露骨に判るので、勲章を外すように事前に勧告していたのですが…首領様は他人から指図されるのがお嫌いなようです。

 さらに、金日成は、ソ連軍将校がロシア語で作成し、詩人の田東赫が翻訳した演説原稿をたどたどしい朝鮮語で読み上げ、退場するというありさまでした。

 このため、金日成の演説が終わると、一部の人々は演壇の周囲に集まり、「偽の金日成だ」と言って騒ぎを起こし、ソ連軍兵士が発砲する騒ぎも起こりましたが、会場全体としては、「金日成将軍万歳」の声がこだまし、大会は終了しています。

 今日の切手は、1946年8月15日、解放1周年に際して北朝鮮郵政が発行したものですが、太極旗をバックにした背広姿の金日成が描かれています。おそらく、「金日成将軍歓迎平壌市民大会」の模様を忠実に再現した結果、このような図案になったのでしょう。

 しかし、スターリンや毛沢東、ホーチミン、チトーなど、同時代の社会主義諸国の指導者で、軍事指導者としても活躍したはずの人物は、その証として軍服ないしはそれに準じる人民服姿で切手に登場するのが一般的でしたから、背広姿の金日成をほかならぬ“解放一周年”の記念切手に登場させるということは、彼が本来の意味での抗日の英雄であれば、他の社会主義諸国の例と比較して、きわめて不自然です。

 歓迎大会の模様を忠実に再現した切手が見る者に不自然な印象を与えるということは、その元になった歓迎大会そのものが不自然なものであったからといってもよいでしょう。そして、この不自然さが、ソ連軍の一大尉を強引に伝説の抗日英雄に祭り上げたことに由来しているのは、あらためて言うまでもありません。

 もっとも、そういうことを言い出すと、今日にいたるまで“首領様”の物語の大半は不自然なエピソードで満ち溢れているわけで、身も蓋もありません。まぁ、首領様の切手はこれが最初の1枚なんですが、その後もずっと同じようなことが繰り返されているのを見ると、まさに“三つ子の魂百まで”ということわざを思い出してしまいます。
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この記事のコメント
#127
「解放1周年」記念に描かれている金日成の姿ですが、これには元になった写真があり、2001年4月15日発行の「20世紀の偉大な太陽金日成」小型シートの一枚に、件の切手の元になった写真を取り上げています。
一方、詳しいことは忘れたのですが、1946年、日本国内で、在日朝鮮人によって発行された解放を記念する写真集が出されており、内容は南北朝鮮の解放と日本国内での在日朝鮮人の活動が掲載されています。またその中には、「金日成将軍歓迎平壌市民大会」の模様も取り上げられて数枚ほど金日成の姿も写っています。(そのうちの一枚は演説原稿を読み上げる金日成を後ろから写した珍しい写真が掲載されています)
この写真集は「解放」というタイトルですが、現存数が数部しか残っておらず、「解放一周年」というタイトルで復刻版が出版されています。(出版社は忘れてしまいましたが)
また、この当時は金日成は、出っ歯だったようで、この時期の金日成の写真には、前歯が見えている写真がいくつかあります。ここで取り上げた写真集の金日成の写真の一枚はそうなっています。
2006-04-16 Sun 00:45 | URL | 大津太孝 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
  大津太孝 様
 いつもながら、詳細な補足の書き込み、ありがとうございます。
 この切手の元になった写真は、当時の北朝鮮の新聞なんかでも良く使われていますよね。それはともかく、この切手を見るたびに、“歓迎大会”の前に、おそらく生まれてはじめてきちんとした背広を着た首領様はとにかく舞い上がっていたとのレベジエフの証言を思い出してしまいます。
 これからもよろしくお願いします。
2006-04-19 Wed 00:17 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
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