内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ルワンダ虐殺から20年
2014-04-06 Sun 15:29
 1994年4月6日に“ルワンダ大虐殺”(以下、大虐殺)から、きょうでちょうど20年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       ルワンダ・ハビャリマナ

 これは、1974年、ルワンダで発行されたジュベナール・ハビャリマナ大統領の切手です。1994年の大虐殺は、彼の死をきっかけに発生したもので、きょうは彼の没後20年ということにもなりますので、この切手を持ってきました。

 大虐殺以前のルワンダでは、人口の85%がフツ族、14%がツチ族、トゥワ族(ピグミー)が人口の1%という構成になっていました。もともと、フツ族とツチ族は同じ言語を話し、フツ族が農耕を、フツ族が遊牧を主たる生業としていた程度の違いしかなかったといわれていますが、第一次大戦後のベルギーによる植民地支配下で、分割統治の一環としてツチ族が優遇されていました。しかし、1962年の独立を前に、ツチ族とベルギー当局との関係が悪化すると、ベルギー当局は社会革命としてフツ族による体制転覆を支援。このため、報復を恐れた多数のツチ族が難民として隣国ウガンダを中心に近隣諸国へ脱出しました。

 その後、ルワンダ国内では、1973年、クーデターでフツ族出身のハビャリマナが政権を掌握(今回ご紹介の切手は、その翌年に発行されたものです)。ハビャリマナ政権は、ルワンダ国内のフツ族・ツチ族の宥和政策を進め、一定の成果をあげましたが、独立前後の混乱で難民となった在外ツチ族の問題はそのまま放置されました。

 こうした背景の下、1979年にウガンダでアミン独裁政権が崩壊すると、ウガンダ国内のツチ族難民は国民統一ルワンダ人同盟 (RANU)を設立し、ルワンダへの帰還に向けて具体的に動き始めますが、1981年にウガンダ内戦が勃発。ウガンダに逃れていたツチ族難民が反政府軍(国民抵抗軍:NRA)に参加すると、翌1982年、ウガンダ政府軍はすべてのツチ族難民を収容所送りにしてこれを抑え込もうとしました。しかし、政府側の試みは失敗。こうした中で、4万人のツチ族難民が内戦を逃れてルワンダに帰国しようとしたものの、ルワンダ側はそのうちの4000人しか受け入れず、また、ウガンダ側もいったん出国したツチ族難民の多くについて再入国を拒否したため、3万5000人ものツチ族難民が国境地帯に放置され、彼らの多くはNRAの兵士としてウガンダ内戦に関わることになります。

 ウガンダの内戦は、1986年にNRAの勝利で終結し、ヨウェリ・ムセベニ政権が発足。ムセベニ政権は、NRAの勝利に貢献したRANUに報いるため、10年以上ウガンダに住んでいる“バニャルワンダ(ルワンダ語を母語とする者。ツチ族・フツ族の別は問わない)には市民権が与えられると宣言しました。

 このように、ウガンダ国内に基盤を築いたRANUは、1987年12月、ルワンダ愛国戦線(RPF)へと組織を再編。このRPFが、1990年10月1日、ルワンダ北部に侵攻したことで、ルワンダ内戦が勃発します。

 ルワンダ内戦は1993年8月にアルーシャ協定が結ばれ、和平合意が成立したものの、翌1994年4月6日、ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領を乗せた飛行機が何者かによって撃墜されたことで、フツ族過激派によるツチ族への大量虐殺(ジェノサイド)が始まりました。

 その後、1994年7月にRPFがツチ族保護を名目に全土を完全制圧。フツ族(穏健派)のパステール・ビジムングを大統領、ツチ族のポール・カガメを副大統領(現大統領)とする新政権が発足し、ようやく大虐殺は収束しましたが、この間、フランス政府が大虐殺を行ったフツ族(過激派)側に武器援助を行うなど、組織的な支援を行ったことに加え、ラジオ放送がツチ族への敵愾心を煽るプロパガンダ放送を流し、煽動された一般人までもが虐殺に荷担したこともあって、100万人ともいわれる犠牲者が生じました。

 ルワンダの隣国タンザニアには、1994年、量虐殺の首謀者とされる者たちを裁くため、国連のルワンダ国際戦犯法廷が設置されたものの、現在までの20年間に行われた裁判の件数は、ようやく60件ほどに達したばかりで、全容の解明にはほど遠い状況です。その一方で、ルワンダ国内には、法律の専門家ではない一般住民による“ガチャチャ”と呼ばれる司法制度があり、これまでに約200万人が裁かれていますが、裁判としての公正さには大いに疑問があるとされています。

 いずれにせよ、現代史上の一大事件であるルワンダ大虐殺については、関連するマテリアルも少なからずありますので、今後も機会を見つけていろいろご紹介していければ…と思っております。


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