内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(16)
2014-04-22 Tue 21:17
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、『本のメルマガ』532号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、第3次および第4次中東戦争の戦間期のアラブ世界の状況のうち、シリアとイラクのバアス党にスポットをあてました。その中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)

       イラク・国軍の日(1971)

 これは、1971年にイラクで発行された“国軍の日”の記念切手の小型シートで、右側の40フィルス切手にはパレスチナの地図に岩のドームを描き、行進するイラク軍の兵士が描かれています。

 1958年7月14日、自由主義将校団によるクーデターでハーシム王制が打倒されたイラクでは、1963年2月に再度クーデター(ラマダーン革命)が発生し、ナセル主義者のアブド・サラーム・アーリフがバアス党と連携して政権を掌握しました。

 バアス党の党名は、日本語に訳すと、アラブ社会主義復興党となります。アラブ社会主義(きわめて単純化してしまえば、金融を含む重要産業の国有化と計画経済による開発独裁体制のことですが、いわゆるマルクス・レーニン主義のように、宗教を“民衆のアヘン”として排斥するわけではありません)と、アラブ世界における既存の国境を解体してアラブの再統合を図るというアラブ民族主義を基本綱領として掲げており、その意味では、エジプトのナセルと基本路線に大きな相違はありません。

 そのルーツは20世紀初頭に遡るもいえるのですが、制度的には、1940年12月、シリアの民族主義者(宗教的にはアラウィ―派)のザキー・アルスーズィーらがダマスカスで秘密結社として組織した“アラブ・バアス党”がその源流で、シリア独立後の1947年4月7日、ダマスカスで第1回に公式の結党大会を行い、公然組織となりました。その後、シリアを本部として、イラク、レバノン、ヨルダン、イエメンに支部を拡大します。

 1958年にエジプトとシリアの合邦により発足したアラブ連合共和国は、1961年、シリアの離反によって破綻しましたが、その後もナセルは“アラブ連合”の大義名分を放棄せず、アラブ諸国の再統合を水面下で模索し続けます。その際、彼は、自分に代わって各国のバアス党が連携して国家統合を進めることには警戒感を抱いていました。

 こうした背景の下、イラクでは、1963年2月のラマダーン革命後、非バアス党員でナセル主義者のアブド・サラーム・アーリフが、同年11月、バアス党を政権から追放し、革命の果実を独占することに成功します。

 アブド・サラーム・アーリフは、1964年5月26日、エジプトと合同大統領評議会を立ち上げ、アラブ社会主義のエジプトとの統合を見据えて主要産業を国有化。同年末には統合のためのプランまで発表しました。しかし、すでにエジプトとシリアの国家統合が破綻していたこともあって、エジプトとの統合には慎重論も根強く、結局、統合論は有耶無耶になってしまいます。

 そうしているうちに、1966年4月13日、アブド・サラームは飛行機事故により死亡し、アブド・ラフマーン・バッザースによる3日間の暫定大統領を経て、アブド・サラームの兄、アブド・ラフマーン・アーリフが大統領職を継承しました。

 アブド・ラフマーンは、弟の路線を引き継ぎ、ナセルと連携して1967年の第3次中東戦争にも参戦しましたが、イスラエルの前にイラク軍も惨敗。この結果、翌1968年7月17日、アフマド・ハサン・バクルらバアス党員のクーデターによって失脚し、トルコへ亡命しました。

 ところで、アーリフ政権時代の1966年、シリアでは大統領のハーフィズに対して、ハーフィズ・アサドとサラーフ・ジャディードがクーデターを起こし、バアス党内の実験を掌握します。これに伴い、バアス党の創設者の一人にして代表的なイデオローグで、クーデター発生時のシリア・バアス党の委員長だったミシェル・アフラクが失脚。アフラクを否定するシリア・バアス党と、従来通り、アフラクをバアス党の理論的支柱とみなすイラク・バアス党の対立が生じました。

 クーデター直後、ダマスカスで開催された第9回バース党大会でアフラクとその支持者が追放されると、イラク・バアス党は直ちにベイルートで“真の”第9回党大会を開き、アフラクを民族指導部事務総長として迎え入れました。以後、バアス党運動はシリア派とイラク派に分裂し、両者は対立するようになります。

 その後、1970年11月13日、シリアでは国防大臣のハーフィズ・アサドによるクーデターが発生し、事実上の最高権力者であったサラーフ・ジャディード(公的な地位としてはシリア・バアス党第2書記)を失脚させました。

 ジャディードの政治路線は、アラブ諸国との軍事同盟よりもシオニストとの“人民戦争”を重視するという基本方針の下、イスラエルとサウジアラビア(アラブ社会主義の視点からは“反動アラブ諸国”の筆頭と目されていた)に対して強硬路線を採るというものでしたが、第3次中東戦争の敗戦によりその権威は大きく損なわれ、さらに1970年9月、ヨルダンで発生したブラック・セプテンバー事件でのPLO支援などによって、バアス党内の穏健派(現実主義派)と激しく対立していました。

 1970年11月のシリアでのクーデターはこうした背景の下で発生したもので、政権を掌握したアサドは、ジャディードに連なる党内左派を追放するとともに、“(ナセル時代の行きすぎた)革命の矯正”を進めていたサダトとも連携し、第3次中東戦争で失ったゴラン高原の奪還を目指して軌道修正に乗り出します。

 この間、アフラクは1970年のブラック・セプテンバー事件に対してイラク政府が介入するよう求めたものの、バクル政権から拒否されたことに抗議してレバノンに逃れています。一方、アサド政権は、翌1971年、欠席裁判でアフラクに死刑判決を下しました。

 こうした事態の変化を受けて発行されたのが、今回ご紹介の切手です。

 イラクの「国軍の日」は毎年1月6日となっていますが、これは、親英王制時代の1921年1月6日にイラク王国軍が発足したことによるもので、1971年はそこから起算して50周年にあたっていました。

 2種類発行された記念切手のうちの40フィルス切手にはパレスチナの地図を背景にした岩のドームと、そこに向かって進軍するイラク軍が描かれています。切手には、額面数時の40以上に大きな文字で“50(周年)”と表示しており、あたかも、イラク国軍がパレスチナ解放の大義のために50年間戦ってきたかのようなイメージになっています。

 もちろん、これは歴史的な事実には反するのですが、1947年にシリアでバアス党が正式に発足する以前から存在していたイラク国軍とパレスチナ解放の大義を結びつけることによって、自分たちこそがアラブ民族主義の嫡流であることを主張しようとしたと理解することができましょう。

 もっとも、1968年にイラクの政権を掌握したバクルのバアス党は、そうした建前とは裏腹に、必ずしもパレスチナ問題に熱心に取り組んでいたわけではありません。

 そもそも、イラクはイスラエルと直接に国境を接しておらず、1967年の第3次中東戦争においても、エジプトやヨルダン、シリアなどのようにイスラエルによって領土を占領されたわけではなく、戦争の被害に関しても、他のアラブ諸国に比べると比較的軽微でした。

 このため、失地奪還のために対イスラエル戦争を準備していたエジプトやシリアとは異なり、パレスチナ問題には深入りせず、1972年の石油国有化を経て国内の経済建設に邁進するというのが、バクル政権の基本的な姿勢となっていました。

 その姿勢は、結果的に、翌1973年、アラブ民族主義の嫡流を自称する建前から第4次中東戦争に参戦するものの、実際の戦闘にはほとんど参加せず、石油戦略の発動によって巨額の富をイラクにもたらすことになるのです。


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