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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ボブ・マーリーの命日
2014-05-11 Sun 12:51
 きょう(11日)は、1981年5月11日に36歳の若さで亡くなった“レゲエの神様”ボブ・マーリーの命日です。というわけで、今日はこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       ボブ・マーリー追悼

 これは、1981年10月20日にジャマイカが発行したボブ・マーリーの追悼切手です。

 ボブ・マーリー(本名:ロバート・ネスタ・マーリー)は、1945年2月6日、ジャマイカ島の北岸にあるセント・アン教区のナイン・マイルズで、白人の英海軍大尉でジャマイカ最大の建設会社マーリー・アンド・カンパニーの経営社だったノーヴァル・マーリーと、ジャマイカ人(黒人)のセデラ・ブッカーとの間に生まれました。当時61歳の父親は、ボブが生まれると、18歳の母親を捨て、以後、母子は父親からの養育費の仕送りを受けてナイン・マイルズで過ごしました。

 1955年、父親が亡くなり養育費が途絶えると、セデラは職を求めて首都キングストン郊外のスラム、トレンチタウンに移住。ここで、バニー・ウェイラーらと音楽活動を開始し、1959年、音楽に専念するため14歳で学校を中退しました。

 この時期のトレンチタウンには“Manny Oh”のヒット曲で後にレゲエの父”と呼ばれたジョー・ヒッグスが住んでおり、ボブ・マーリーは彼から音楽のみならず、ラスタファリ運動の教えを受けています。

 プロ・ミュージシャンとしてのレコード・デビューは1962年のことで、翌1963年、ティーネイジャーズ(ウェイラーズの前身)を結成。1972年にはアイランド・レコードと契約し、翌1973年、アルバム“Catch a Fire”でメジャー・デビューを果たし、1974年、エリック・クラプトンがカヴァーした“I Shot The Sheriff”が全米ビルボードチャート1位を獲得したことで、マーリーと彼のレゲエ・ミュージックは世界的な知名度を獲得しました。

 ところで、当時のジャマイカは、保守・中道路線のジャマイカ労働党(JLP)と、社会主義インターナショナル加盟の人民国家党(PNP)の2大政党が激しく対立し、しばしば流血事件が発生していました。特に、1976年1月、選挙戦を前に大規模な暴動が発生したため、同年6月、当時のマイケル・マンリー政権(PNP)は非常事態宣言を発令。JLP党員を含む約500名が国家転覆の容疑で起訴され、ジャマイカ駐留英軍の基地であるアップパーク・キャンプ内の特設刑務所に収容されています。

 こうした中で、マイケル・マンリーの支持者でもあったマーリーはプロデューサーのクランシー・エクルズらと共にPNP の選挙キャンペーンに参加。このことがJLP支持者の憤激を買い、同年12月3日、コンサート“スマイル・ジャマイカ”のリハーサル中に狙撃されて重傷を負い、1年ほど、バハマとロンドンで亡命生活を余儀なくされました。なお、選挙は狙撃事件後の12月15日に行われ、PNPが与党となったため、非常事態宣言は翌年まで繪院長されています。また、マーリーの狙撃事件に関して、組織としてのJLPは共犯として起訴されています。

 みずからの狙撃体験と亡命生活から、祖国の分裂に深く心を痛めたマーリーは、1978年に帰国してコンサート“One Love”を開催。ステージ上でPNP党首のマイケル・マンリー(1972-80年、1989-92年の首相)とJLP党首のエドワード・シアガ(1980-89年の首相)に握手をさせ、両者の和解を演出しようとしました。しかし、その後も暴力の応酬は収まらず、1980年の選挙では、800人のジャマイカ人が殺害されています。

 一方、マーリーはその後、世界各国での演奏活動(1979年には来日もしています)とアルバムの制作を行っていましたが、持病の癌が悪化。医師からは癌に侵された足の親指の切断を勧められましたが、宗教上の理由から部分切除に留めたため、主要が全身に転移。1981年5月11日、療養先のドイツから帰国の途のつく途中で容態が悪化し、米フロリダ州の病院で亡くなりました。その後、同月21日には首都キングストンで国葬が営まれ、10月には今回ご紹介の切手も発行されたというわけです。

 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ジャマイカも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、特別企画としてカリブ切手展を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


 ★★★ 切手が語る台湾の歴史 ★★★

 5月15日13:00から、よみうりカルチャー北千住にて、よみうりカルチャーと台湾文化部の共催による“台湾文化を学ぶ講座”の一コマとして、「切手が語る台湾の歴史」という講演をやります。

 切手と郵便はその地域の実効支配者を示すシンボルでした。この点において、台湾は非常に興味深い対象です。それは、最初に近代郵便制度が導入された清末から現在に至るまで、台湾では一貫して、中国本土とは別の切手が用いられてきたからです。今回の講演では、こうした視点から、“中国”の外に置かれてきた台湾(史)の視点について、切手や郵便物を題材にお話しする予定です。

 参加費は無料ですが、事前に、北千住センター(03-3870-2061)まで、電話でのご予約が必要となります。よろしかったら、ぜひ、1人でも多くの方にご来駕いただけると幸いです。


 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

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