内藤陽介 Yosuke NAITO
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/
World Wide Weblog
 ラオスで軍用機墜落
2014-05-17 Sat 16:49
 ラオス北東部のシエンクワーン県で、けさ(現地時間17日06時15分頃)、ドゥアンチャイ・ピチット副首相兼国防相夫妻や国会議長ら少なくとも18人を乗せたラオス空軍機(アントノフ74型)が墜落。副首相兼国防相ら少なくとも5人の死亡が確認され、女性1人を含む3人の生存者が見つかったものの、現時点では詳細は不明だそうです。というわけで、シエンクワーン県にちなんでこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

      パテートラーオ・ジャール平原

 これは、1961年にパテート・ラーオが発行した切手で、ジャール平原で国旗を掲げるパテート・ラーオの兵士が描かれています。

 ラオス北東部、ヴェトナムのゲアン省と接するシエンクワーン県のうち、アンナン山脈の北端に位置する平原には、紀元前500-後800年に古代モン・クメール族が使っていた石壺 が散らばって埋められています。1930年代にこの地を発掘調査したフランス人考古学者は、石壺(jars)にちなんで、この地を“ジャール平原”と命名。後に、この地名は平原全体を指す言葉としても使われるようになりました。

  旧仏領インドシナのうち、現在のラオスの地では、第2次大戦末期の1945年3月、日本軍によっていわゆる明号作戦が発動され、同年4月、日本の影響下でシーサワーンウォン王がラオス独立を宣言しました。

 ところが、戦後、インドシナ支配の復活をもくろむフランスが再進駐して第一次インドシナ戦争が勃発すると、国王シーサワーン・ウォンは独立を撤回。これに不満を持つ民族主義者はラオ・イサラ(自由ラオス)を結成しましたが、フランスはシーサワーン・ウォンに内政の自治権を与えて懐柔するとともに、ラオ・イサラを攻撃。このため、ラオ・イサラの指導者たちはタイに亡命政府を樹立して抵抗を続けました。

 その後、ラオ・イサラの指導者はシーサワーン・ウォンと妥協し帰国する者と、あくまでも妥協を拒否する強硬派に分裂し、後者のスパーヌウォン王子らは1950年8月、北東部のサムヌア省を拠点に左派のネオ・ラオ・イサラ政府を樹立。1951年にはホー・チ・ミン率いるヴェトミン等とインドシナ合同民族統一戦線を結成し、抗仏闘争を展開しました。

 シーサワーン・ウォンのラオス王国は、1953年11月に完全独立を達成しますが、ネオ・ラオ・イサラも、ラオス北東部のサムヌア省を拠点に、ヴェトミンと連携してラオス北部をほぼ支配。そして、翌1954年にジュネーヴでインドシナ停戦協定が調停されると、①全外国軍隊はラオス領内から撤退する、②ネオ・ラオ・イサラ軍は中南部10県から撤収し北部2県に結集する(=北部2県の実効支配は認める)、③国際休戦監視委員会による停戦監視を行う、ことが決められました。

 その後、1957年にはシーサワーン・ウォン政府とパテート・ラーオ(1956年にネオ・ラオ・イサラが改称)、さらに中立派の3派による統一政府が樹立されましたが、1958年に発足した親米右派のプイ・サナニコーン政権は左派系の政治家を追放したため、パテート・ラーオ派の兵士が王国軍から集団脱走。1959年にはスパーヌウォン自身が一時政府に軟禁され、パテート・ラーオ軍と政府軍の間で内戦が勃発します。

 その後、1960年8月9日、落下傘部隊の司令官コン・レーが、右派政権に対するクーデターを起こして首都ヴィエンチャンを制圧。スワンナ・プーマを首班とする中立派政権を樹立します。

 しかし、プーマは政権にパテート・ラーオを取り込もうとしたため、ノーサヴァン率いる軍の親米派が米国とタイの支援を受けて反攻。タイがラオスへの物資輸送を凍結したこともあって、プーマ政権は1960年12月には崩壊し、プーマ自身もカンボジアに亡命し、親米派のブン・ウムが首相となりました。ただし、プーマは首相辞任を拒否し、1961年2月にはカンボジアから帰国してジャール平原のカンカーイでコン・レー軍と合流して抵抗。3月9日からの戦闘では、パテート・ラーオと中立派の連合軍がノーサヴァン率いる親米派に大打撃を与え、首都ヴィエンチャンは陥落寸前に追い込まれた。

 今回ご紹介の切手は、こうした状況の下で、パテート・ラーオ側が発行した切手で、ジャール平原の兵士たちを描き、同地での勝利を表現したものです。ちなみに、内戦の勃発に伴い、パテート・ラーオ側は王国政府の正統性を認めないという立場から従来の切手の使用を拒否し、自らの支配地域においては独自の切手を発行していましたが、指導者のスパーヌウォンが王族であったこともあり、自分たちこそが“ラオス王国”の正統な後継者であるとの意を込めて、切手の国名表示は“ラオス王国”を意味する“ROYAUME DU LAOS”としていました。

 さて、親米派が危機に陥ったことで、1961年1月に発足したばかりの米ケネディ政権は、「もしラオスが共産主義者の手に落ちたら、タイ、カンボジア、南ヴェトナムに信じられないほどの大きな圧力をもたらすであろう」との“ドミノ理論”のアドヴァイスを前任者のアイゼンハワーから受けていたこともあって、米軍のラオス出動準備を発令。第7艦隊がシャム湾に急派され、ヴィエンチャンからも近いタイ国内のウドーン空軍基地内に秘密裏にヘリコプター部隊用の基地が設置されました。その上で、3月23日、ケネディは「ソ連や北ヴェトナムに支援されたラオス共産軍の大攻勢に対して、米国はラオスの中立を守るため何らかの対応策を取る」と述べ、ラオスへの軍事介入を示唆します。

 4月に入ると、ラオスの隣国、タイのサリット政権から「航空管制システムを確立するために」との要請を受けたことを理由に米空軍の先遣隊がドーンムアンに到着。さらに、フィリピンのクラーク空軍基地から第509要撃飛行隊からF-102戦闘機もドンムアンに派遣され、自力での防空が難しかったタイ空軍の防衛力を補完しています。

 米国の強硬姿勢を受けて、1961年5月3日、ラオス国内では3派の停戦合意が成立。同月6日から、タイを含む関係14ヵ国会議がジュネーヴで開かれ、米ソ両国が“ラオス人により選ばれた政府の下での、中立で独立したラオス”を支援することで合意し、6月23日、中立派のプーマを首班とする連合政府が発足し、内戦はいったん収束しました。

 しかし、翌1962年5月には、パテート・ラーオが、ラオス北西部の親米派5000の軍が駐留していたナムターを攻略。このため、5月11日、米国が第7艦隊をシャム湾に派遣し、5月15日には海兵隊1800人をタイに派遣すると、パテート・ラーオが攻撃を止めて親米派と妥協するなど、その後も、ラオスの内戦は1975年まで間欠的に続いていくことになります。
 
 なお、ジャール平原といえば、日本では、1961年に謎の失踪を遂げた辻政信が最後に確認された場所と行った方が通りが良いかもしれません。ノモンハンやガダルカナルなどで陸軍の参謀だった辻は、敗戦後の数年間を国内外で潜伏したのち、戦記を発表してベストセラー作家となり、1952年以降、衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)を歴任しました。参議院議員在任中の1961年4月、北ヴェトナムでホーチミンと会うことを目的として東南アジアを外遊。ラオス入りした後、仏教の僧侶に扮してラオス北部のジャール平原へ単身向かった後、行方不明となり、1968年7月20日付で死亡宣告が出されています。

 ★★★ 講座「世界紀行~月一回の諸国漫郵」のご案内 ★★★ 

亀戸講座(2014前期)・広告

 東京・江東区亀戸文化センターで、5月から毎月1回、世界旅行の気分で楽しく受講できる紀行講座がスタートします。美しい風景写真とともに、郵便資料や切手から歴史・政治背景を簡単に解説します。受講のお楽しみに、毎回、おすすめの写真からお好きなものを絵葉書にしてプレゼントします!

 詳細は、こちらをご覧ください。


 ★★★ 内藤陽介の最新作 『蘭印戦跡紀行』 好評発売中! ★★★

 『蘭印戦跡紀行』広告

 日本の兵隊さん、本当にいい仕事をしてくれたよ。
 彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた。(本文より)

 南方占領時代の郵便資料から、蘭印の戦跡が残る都市をめぐる異色の紀行。
 日本との深いつながりを紹介しながら、意外な「日本」を見つける旅。

 出版元特設ページはこちらです。また、10月17日、東京・新宿の紀伊國屋書店新宿南店で行われた『蘭印戦跡紀行』の刊行記念トークの模様が、YouTubeにアップされました。よろしかったら、こちらをクリックしてご覧ください。


 ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★

 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。
スポンサーサイト

別窓 | ラオス | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<< 国旗の日(ハイチ) | 郵便学者・内藤陽介のブログ |  岩のドームの郵便学(17)>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
copyright © 2006 郵便学者・内藤陽介のブログ all rights reserved. template by [ALT-DESIGN@clip].
/