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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ジャマイカ・労働者の日
2014-05-23 Fri 22:19
 きょう(23日)は、ジャマイカでは“労働者の日”の祝日です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ジャマイカ・労働者の日

 これは、1968年にジャマイカで発行された“労働者の日”の記念切手で、独立後のジャマイカの初代首相を務めたウィリアム・アレクサンダー・クラーク・バスタマンテ夫妻の肖像が描かれています。

 1670年、ジャマイカの支配者はスペインから英国に変わりましたが、黒人奴隷を用いたサトウキビのプランテーションを基本とする経済には変化はありませんでした、その後、プランテーションを逃げ出した逃亡奴隷とその子孫は自由を求めてイギリス植民地政府に対する反乱を繰り返したため、1838年までに、奴隷制度やそれに準じる徒弟制度は廃止されました。このため、1840年代から1910年代にかけて、ジャマイカではインド、アフリカ、中国、ポルトガル領マデイラ諸島から年季奉公の契約労働者が流入するようになります。

 1870年、米国資本によるバナナのプランテーションが本格的に行われるようになると、それまでのサトウキビに代わってバナナがジャマイカの主要な輸出品となりましたが、その結果、サトウキビのプランテーションで働いていた多くの労働者が失業。このため、多くの黒人労働者が職を求めて、ジャマイカから米国、キューバ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、パナマ地峡などのカリブ海沿岸に移住することになります。

 1920年代になると、ジャマイカの砂糖産業はますます衰退しましたが、1930年代になると世界恐慌の影響をまともに受けて労働者に対する給料の遅配や未払いが相次ぎ、暴動やストライキが多発するようになりました。こうした中で、1938年5月23日、ウェストモアランド教区フロームの製糖工場で大規模なストライキが発生。これを機に、ジャマイカ全土に暴動が拡大し、以後、ジャマイカの独立運動が本格化することになりました。

 大暴動発生前年の1937年、ジャマイカではアラン・クームスがジャマイカ労働組合(JWU)を結成していましたが、その会計係だったバスタマンテは、1938年のストライキに際して労働者のスポークスマンとして活躍。カリスマ的指導者として急速に台頭してJWUの実権を掌握し、JWUをバスタマンテ産業労働組合(BITU)へと改組するまでになりました。その後、1940年には破壊活動のために投獄されるものの、1942年に釈放され、1943年にジャマイカ労働党(JLP)を設立します。すでに、ジャマイカでは、バスタマンテの従弟にあたるノーマン・マンリーによって、1938年、人民国家党(PNP)が設立されており、これによって、JLPとPNPというジャマイカ2大政党制の基礎ができあがりました。

 その後、JLPとPNPの両党による英本国議会への働きかけもあり、1944年の「ジャマイカに関する勅令」により、ジャマイカでも普通選挙による議会が設置され、同時に総選挙が実施されると、JLPは最初の下院における32の席のうち22を獲得。1953年に植民地行政長官のポストが創設されるまで、バスタマンテはJLPの党首として、事実上のジャマイカ政府の指導者になりました。

 なお、バスタマンテは、1947-48年には首都キングストン市長を務めたほか、1962年にジャマイカが独立すると、初代首相に就任し、1967年まで政権を担当しています。

 ところで、独立以前のジャマイカでは、他の英連邦諸国・地域同様、ヴィクトリア女王の誕生日にあたる5月24日を“大英帝国の日”としていましたが、独立前年の1961年、英領ジャマイカの首相だったノーマン・マンリーが、大英帝国の日に代えて、独立運動の画期となった1938年5月23日の暴動の記念日を“労働者の日”として、“大英帝国の日”に代わる祝日とすることを提案。これが受け入れられて、1962年以降、5月23日がジャマイカの“労働者の日”の祝日となりました。

 今回ご紹介の切手は、1938年の暴動から30周年になるのを記念して発行されたものですが、切手に取り上げられたバスタマンテは、切手発行前年の1967年に首相を退陣しており、今回の切手にはその慰労の意味が込められていたとみることも可能かもしれません。
 
 さて、ことしは、わが国とカリブ共同体(旧英領を中心にカリブの14か国1地域が加盟。ジャマイカも加盟国です)の事務レベル協議開始後20年が経過した年であるとともに、ジャマイカならびにトリニダード・トバゴとの国交樹立50周年にもあたることから、“日・カリブ交流年”とされています。

 8月1-3日、東京・墨田区で開催が予定されている<全日本切手展2014>でも、これにちなみ、外務省の認定を受けた“日・カリブ交流年”の行事として“カリブ切手展”を併催の予定です。今後も、同展の事前プロモーションを兼ね、機会を見つけてカリブ共同体加盟諸国・地域の切手をご紹介していきたいと考えておりますので、よろしくお付き合いください。


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