内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(18)
2014-06-06 Fri 18:15
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』538号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は第4次中東戦争にスポットをあてました。その記事で取り上げたモノの中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・第4次中東戦争FDC

 これは、1973年12月23日にエジプトが発行した第4次中東戦争開戦の記念切手の初日カバーで、ファタハの作成した岩のドームのラベルが同時に貼られているのがミソです。

 第3次中東戦争(1967年)の敗戦後、エジプトにとっての最重要課題はイスラエルからシナイ半島を奪還することにありました。

 1970年にナセルの死を受けて政権を継承したサダトは、それぞれの思惑から中東に関与しているだけの米ソ両国に任せていてもシナイ半島の奪還は無理であると喝破し、武力による自力奪還以外に、エジプトの採るべき現実的な選択はないという結論に到達。こうした判断にもとづき、シリア大統領ハフィズ・アサドとも連携をとりながら、対イスラエル戦争のプランを練り始めます。

 戦争計画の策定にあたっては、戦争の長期化は絶対に避けるとの前提の下、イスラエルに軍事的な大打撃を与えることで、大国による和平の仲介を引き出すという基本方針が確認されました。このため、戦争計画は、緒戦の電撃的な侵攻作戦に重点が置かれ、スエズ運河の潮流や月齢などを考慮した結果、ユダヤ教の贖罪日(ヨム・キップール)でイスラエル軍の態勢が手薄になる1973年10月6日が開戦予定日として設定されます。

 かくして、1973年10月6日、エジプト・シリア連合軍によるイスラエルの奇襲攻撃によって、第4次中東戦争の火ぶたが切って落とされました。

 開戦当初の3日間、エジプト軍はイスラエルに対する大規模攻撃を展開し、スエズ運河を渡河して、イスラエルの航空機50機と戦車550両を撃破するという華々しい戦果を挙げました。このうち、スエズ運河渡河作戦の成功は、イスラエルに対するアラブ最初の勝利として大々的に喧伝され、サダトは「渡河作戦の最高指揮官=イスラエル軍不敗神話を破ったアラブの英雄」として、その権威は絶大なものとなりました。

 今回ご紹介の初日カバーの切手は、スエズ運河渡河作戦の成功を祝して発行されたもので、1サダトの肖像と運河を渡河するエジプト軍が描かれています。サダトにとって、真の戦争目的は、あくまでもシナイ半島の奪還であって、パレスチナの解放ではありませんでしたから、エジプトの発行する記念切手に“パレスチナ”を連想させる要素が盛り込まれていなかったとしても、それはある意味で自然なことです。

 一方、イスラエル=シリア国境のゴラン高原では、シリア軍が快進撃を続け、アラブに対するイスラエルの不敗神話は崩壊しました。

 もっとも、エジプト・シリア両軍の優勢は長続きしませんでした。はやくも10月11日にはイスラエルはゴラン高原での大反攻を開始し、シリア領内に突入。さらに、シナイ半島方面でも、同16日にはスエズ運河の逆渡河に成功してエジプト領内に進攻し、形勢は逆転します。

 ところが、翌17日、アラブ産油国10ヶ国が米国とイスラエル支援国に対する原油輸出の5パーセント削減を発表すると同時に、同6ヶ国が原油価格の21パーセント引き上げを決定しました。さらに、イスラエル軍が1967年の第3次中東戦争以前の境界線まで撤退しない限り、以後、毎月5パーセントずつ原油生産を削減すると発表します。

 いわゆる(第1次)石油危機の発生です。

 対イスラエル開戦を準備する過程で、サダトは親イスラエル諸国への石油輸出を減少させることでイスラエル陣営に経済的打撃を与えることを計画。アラブ産油諸国への根回しを開始します。これを受けて、1973年4月以降、サウジアラビアは、米国がイスラエル支援政策を変更しない限り、石油生産を増産しない(あるいは米国に協力しない)可能性があると米国に対して繰り返し警告を発していました。そして、第4次中東戦争が勃発し、戦況がエジプト・シリアに不利になりつつあったタイミングを狙って、いわゆる石油戦略を発動したというわけです。

 これに対して、キッシンジャーは、米国のイスラエルへの武器供与は中東でのソ連の影響力拡大に対抗するためのものであって、反アラブを意図したものではないと弁明しましたが、10月19日、大統領のニクソンが議会に対して22億ドルのイスラエル軍事援助を認めるよう求めたことで、中東産油国の対米不信は決定的なものとなりました。

 結局、翌20日、サウジアラビアが米国に対する石油の全面的な輸出禁止を発表すると、イラクをのぞくアラブ産油国の全てがこれに同調。アラブ諸国から米国とオランダ(米国のイスラエル軍事援助に際して国内の空軍基地使用を許可したことから、アラブ諸国から「敵」と認定されていました)への石油の輸出が全面的に停止されました。アラブ諸国の強硬姿勢に接してパニックに陥った西側諸国は、自国の経済を防衛するため、イスラエルとの友好関係を見直すようになります。

 サウジアラビアを含むアラブ産油国がサダトの要請を受けて石油戦略を発動したのは、エジプトがイスラエルに勝利すれば、第3次中東戦争以降、エルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区からイスラエルが撤退し、ともかくも“アラブの大義”が果たされることを期待したからであって、エジプトなりシリアなりの個別の“失地”が回復されるか否かはあくまでも二義的な問題でした。

 今回ご紹介の初日カバーに、は、スエズ渡河の記念切手とファタハによる“パレスチナ解放”のラベルが同時に貼られているのも、そうしたアラブ世界の意識を反映したものと言ってよいでしょう。

 さて、戦況が次第にイスラエル有利に傾いていくと、ソ連はエジプト(サダトによる軍事顧問団の追放後もソ連はエジプト領内の基地使用権を保有していた)とシリアが第3次中東戦争に続いて大敗することを懸念し、米国と協議を開始。ソ連がエジプトとシリアに対して、米国がイスラエルに対して、それぞれ、早期の停戦を受け入れるよう、強く説得します。

 一方、イスラエル敗北の既成事実を作った上で停戦協定を結び、シナイ半島を奪還することを本音の部分での戦争目的としていたサダトも、緒戦の優位が失われていたことから、停戦の受け入れに前向きな姿勢を示しました。これに対して、戦況が好転しつつある中での停戦受諾はイスラエルにとっては不満の残るものではあったが、米国はなんとかイスラエルを説得します。

 こうして、10月22日の国連安保理において、関係諸国に対する停戦決議(決議第338号)が採択され、第4次中東戦争は終結へと向かっていくことになりますが、そのことは、エジプトと他のアラブ諸国と思惑のずれを顕在化させ、サダトにとって悲劇的な結果へとつながっていくことになります。


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