内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(19)
2014-07-05 Sat 13:26
 ご報告が遅くなりましたが、『本のメルマガ』541号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は第4次中東戦争後のエジプトとイスラエルの接近にスポットをあてました。その記事で取り上げたモノの中から、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      エジプト・預言者誕生日(1975)

 これは、1975年3月25日、エジプトで発行された“預言者生誕祭”の記念切手で、上部にメッカのカアバ神殿と並んで岩のドームが描かれています。

 第4次中東戦争の戦闘がひとまず終息した後の1973年12月22日、米ソ両国の主導によりジュネーヴで中東和平会議が開催されました。

 米国の目指していた“中東和平”は、端的にいえば、エジプトとイスラエルの単独和平を実現することであり、全当事国間の和平の実現やパレスチナ問題の抜本的解決はその中には含まれていませんでした。米国が、テロ組織とは交渉しないとして、“パレスチナ人の唯一正統な代表”として国連オブザーバーの資格も得ていたPLOを無視しつづけていたのはそのためです。

 さて、会議の席上、キッシンジャーはスエズ運河周辺とゴラン高原でアラブ、イスラエル両軍の兵力を引き離すための協定締結に向けて合同委員会を設置することを提案。これを受けて、1974年1月18日、①40日以内に、イスラエルがスエズ西岸の橋頭堡を放棄し、スエズ東岸で運河から約20マイル撤兵する、②エジプトは東岸に一定の兵力を維持する、③両軍の間を国連の休戦監視軍がパトロールする、というシナイ半島の兵力分離協定が調印されます。

 この協定は、キッシンジャーと協議を重ねたサダトが、イスラエルに譲歩し、運河東岸には最低限のエジプト軍兵力しか残さないというイスラエルの要求を受け入れたことを受けて締結されたものでした。

 イスラエル軍撤兵の悲願を実現させたエジプトは、同年2月、1967年の第3次中東戦争以来途絶していた米国との外交関係を再開し、ニクソンをエジプトに招待します。

 外交努力によるシナイ半島の奪還という目標が徐々に達成されつつあるのを確認したサダトは、イスラエルに対する融和的な姿勢を強め、1975年9月にはシナイ半島での第2次兵力分離協定の調印に成功しました。

 こうしたサダトの姿勢は、関係国との個別交渉を通じて問題の解決を図ろうとするイスラエルの方針に沿ったものであり、「(イスラエルを)承認せず、(イスラエルとは)交渉せず、講和せず」の三不政策を基本方針とする“アラブの大義”という点からは絶対に許容されえないものではあるのですが、シナイ半島奪還というエジプトにとっての現実的な課題を解決するためには背に腹は代えられません。そこで、サダトとしては、「アラブの盟主であるエジプトは、アラブを代表して、パレスチナ問題の解決も含めてイスラエルと交渉しているのだ」という建前を掲げる必要が生じます。

 今回ご紹介の切手は、まさに、第2次兵力分離協定の交渉が進められていた状況下で発行されたもので、岩のドームが取り上げられているのも、そうしたエジプトの姿勢を示すものとみることができましょう。

 切手の題材となった預言者生誕祭は、イスラムの預言者ムハンマドのヒジュラ暦での誕生日、すなわち、ラビー・アル=アウワル月(第3月)12日に行われる祭礼で、完全太陰暦のヒジュラ暦は1年が354日であるため、日本で一般的に用いられている太陽暦の日付は年によって異なってきます。イスラム世界ではほとんどの国で祝日となっており、エジプトでは、特に盛大な祭礼がおこなわれることで有名で、その意味では、エジプト郵政が記念切手を発行しても何ら不思議はありません。

 また、岩のドームは、預言者ムハンマドが大天使ジブリール(ガブリエル)に導かれて天界飛翔の旅に出た際の出発地の岩を覆うように建てられており(そもそも、それが名前の由来です)、それゆえ、イスラムにとっての聖地にもなっています。したがって、預言者生誕祭の記念切手と、岩のドームという組み合わせじたいには、全く違和感はありません。

 ただし、預言者生誕祭は毎年恒例の行事ですが、エジプトでは、前年の1974年まで、生誕祭の記念切手が発行されたことはなく、1975年になって突如発行されています。その背景には、やはり、エルサレムがイスラムの聖地であることのシンボルとして岩のドームの切手を発行することで、エジプトはシナイ半島奪還という自国の利益のためにパレスチナを見捨てたわけではないとの主張を盛り込もうという意図が込められていたとみるのが自然でしょう。

 しかし、エジプトがどれほどそうした切手を発行しようとも、サダト政権が米国の考える“中東和平”の枠組を受け入れ、イスラエルに対する姿勢を急速に軟化させつつあったことは、誰の目にも明らかでした。

 はたして、1977年11月、サダトは、ついに、アラブ国家の元首としてはじめてイスラエルを公式訪問。イスラエル国会で演説し、イスラエルとの単独和平を目指す姿勢を明らかにしています。これを受けて、同年12月、返礼のためにイスラエル首相のベギンもカイロを訪問し、エジプト=イスラエル間の関係は急速に改善されていきました。

 しかし、一連のサダト外交は、結果的に、アラブ諸国・イスラム諸国の激しい反発を招くことになります。次回以降は、そうした文脈で、エジプトとイスラエル以外の国々で発行された岩のドームの切手をご紹介していく予定です。


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