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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 南ア大使が曽野綾子に抗議
2015-02-15 Sun 22:31
 作家の曽野綾子が、かつてのアパルトヘイト政策を称賛した(と取られる)コラムを今月11日付の『産経新聞』に執筆し、きのう(14日)までに、南アフリカ共和国(以下、南ア)のモハウ・ペコ駐日大使が産経新聞社に抗議文を送付していたことが明らかになりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       南ア・児童画

 これは、アパルトヘイト撤廃後まもない1994年、南アで発行された児童画切手のうち、多人種間の宥和を表現した1枚です。

 “アパルトヘイト”とは、もともとは“分離”ないしは“隔離”を意味するアフリカーンス語ですが、極端な人種差別政策としては、1948年の総選挙に際して登場した概念です。

 第2次大戦中、南アのヤン・スマッツ連合党政権は英連邦、すなわち連合国の一員として第2次大戦に参戦。第2次大戦は連合国側の勝利に終わり、南アは戦勝国としての地位を確保しましたが、戦争を銃後で支えた黒人の発言力も増大します。当時の南アでは、他の欧米のアフリカ植民地と同レベルの有色人種に対する差別的な制度が機能していましたが、連合党が有色人種に対する譲歩の姿勢を示すと、もともと、第二次大戦への参戦そのものにも反対していたマランの国民党は連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判することで、アフリカーナーの支持を獲得していきます。

 こうした背景の下、1948年の総選挙で国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンで、これにより、彼らは地滑り的な勝利を収めました。

 もともとオランダ改革派教会の聖職者だったマランは「アフリカーナーによる南ア統治は神によって定められた使命である」との信念の下、「国内の諸民族をそれぞれ別々に、純潔を保持しつつ存続させることは政府の義務である」と主張。1950年、全国民をいずれかの“人種”に分類するための人口登録法を制定し、これと前後して、人種間通婚禁止法や背徳法(異人種間の性交渉を禁止する法律)を制定し、さらに、都市およびその近郊の黒人居住地から黒人を強制移住させ、その跡地を白人(主としてアフリカーナー)のために区画整理するなどの、差別的政策を強行していきました。

 これと並行して、国軍を含む公職からアフリカーナーの国民党員以外の人物を締め出し、全国の選挙区の区割りを政権側に都合の良いように変更した上で集会の自由などの国民の権利を制限しました。もちろん、“抑圧された人々”の団結を唱える共産主義は御法度です。

 こうして、1954年にマランが80歳で引退するまでの間に、国民党政権はアパルトヘイト体制の基盤を確立します。

 当然のことながら、独立運動組織のアフリカ民族会議(ANC)はこれに抵抗。1955年6月には、人種差別に反対する多人種の人民会議の開催を呼びかけ、ヨハネスバーグ近郊のクリップタウンで、“人種差別のない民主南アフリカ”を目指す「自由憲章」を採択し、1960年には当時議長のアルバート・ルツーリがアフリカ出身者として初のノーベル平和賞を受賞しました。

 ところで、当初、ANCは非暴力主義を掲げていましたが、1960年3月、通行証制度(南アの非白人は身分証に相当する“通行証”の携帯を義務付けられ、不携帯の場合は特定の地域に入れなかったり、甚だしくは逮捕されたりすることもありました)に抗議するデモ隊に警官隊が発砲し、67名が犠牲となるシャープビル事件が発生すると、これを機に、副議長のネルソン・マンデラを指揮官とする軍事部門、ウムコント・ウェ・シズウェ(“民族の槍”の意味)を設立し、武装闘争もやむなしの路線転換を行います。これに対して、南アフリカ政府は非常事態宣言を発してANCを非合法化。1963年にはマンデラら幹部が一斉逮捕され、ロベン島の監獄に送られました。その後、マンデラの身柄は、1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監されたが、1990年2月11日の釈放まで、彼は27年間を獄中で過ごし、アパルトヘイトに抵抗する南ア黒人の象徴的な存在となります。

 こうしたアパルトヘイト政策に対しては、人権の観点から全世界が南ア政府を非難。制裁措置として1960年のローマ五輪を最後に南ア選手はオリンピックから締め出されています。(アパルトヘイト撤廃後、1992年のバルセロナ大会で復帰)

 また、資源大国である南アに対しては、当初、西側諸国は経済制裁に及び腰でしたが、1976年にソウェト蜂起が発生し、多くの市民が犠牲になったことから態度を硬化させ、国際的な経済制裁が本格化。南ア経済は大きな打撃を受けることになります。

 このため、ボータ政権は白人・インド人・カラードによる3人種議会を1984年に開設。また、雑婚禁止法と背徳法、分離施設法を1985年に廃止、パス法を1986年に廃止するなどの部分的改革に着手。さらに、1989年9月に発足したデクラーク政権はアパルトヘイトの完全撤廃の方針を打ち出し、1990年2月には、ANCを始め政党結社の自由を解禁してマンデラを釈放。翌1991年2月、国会開会演説でアパルトヘイト政策の廃止を宣言しました。

 その後、体制移行期間を経て、1994年4月に全人種参加の初の総選挙が行われて新憲法が制定され、マンデラが大統領になり、アパルトヘイトは撤廃。これと前後して、1993年10月、国連総会で経済制裁撤廃決議が採択されました。今回ご紹介の切手は、こうした経緯を踏まえて、1994年4月8日に全人種の融和を訴えるために発行されたもので、まさに、現在の南アの国是を反映したものと言ってよいでしょう。

 さて、今回の南ア大使からの抗議に対して、曽野綾子は「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい、という個人の経験を書いているだけです」と弁明していますが、そういうことであれば、その例としては、世界中の大都市で見られるチャイナタウンやインド人街の事例を挙げれば済む話です。

 ところが、問題のコラムでは、彼女は「もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」としっかり書いており、あえてアパルトヘイト時代およびその撤廃直後の南アを例にしている以上、日本でそれを実行する(できる)かどうかはともかく、アパルトヘイトを称揚していると読者に解されれてもやむを得ないと思います。

 まぁ、僕自身は、いかなる“ヘイト・スピーチ”であろうとも、それが言論活動に留まっている限り、法的・制度的な規制をかけることには絶対に反対という立場ですので、かつての南アのアパルトヘイトを称揚する人物がいても、そのことじたいをとやかく言うつもりはありません。(決して賛同はしませんが)

 ただし、上述のように、曽野が愛してやまないアパルトヘイト政策を採用すれば、かつての南ア同様、わが国は国際社会から確実に孤立し、経済制裁を受け、当然、2020年の東京五輪開催も不可能になるでしょう。そうしたリスクをとってまで、アパルトヘイト政策を推進すべきだというのであれば、それはそれで大したものだとも思いますが、その覚悟もなしに、単なる思い付きで大新聞にアパルトヘイトを称揚する(と取られかねない)コラムを書くのは軽率の謗りを免れません。

 世間一般では、彼女は保守系の論客ということになっているそうですが、エセ左翼やインチキ・リベラルが大嫌いということで“保守”にレーティングされることも多い僕としては、こんな愚か者と同類に扱われるのは何とも迷惑な話ですな。

 なお、アパルトヘイト時代の南アについては、拙著『喜望峰』でもいろいろ取り上げておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


 ★★★ 講座「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」(2月20日)のご案内 ★★★ 

       ミズーリの消印

 2月20日13:00~14:30、愛知県名古屋市の栄中日文化センターで、「切手と郵便物に刻まれた“終戦”」と題する講座を行います。

 2015年は第二次世界大戦の終戦から70周年にあたります。終戦の年の1945年はあらゆる意味で社会が激変した年ですが、その影響は切手や郵便物にもさまざまな痕跡を残しています。今回の講座では、当時の切手や郵便物を読み解いていくことで、一般の歴史書では見落とされがちな終戦の諸相を、具体的なモノの手触りとともに明らかにしてみたいと思っています。

 詳細は、こちらをご覧ください。(画像は、日本の降伏文書調印が行われた米軍艦ミズーリ号から降伏文書調印日に差し出された郵便物の一部分です) 

 
 ★★★ よみうりカルチャー荻窪の講座のご案内 ★★★

 毎月1回(原則第1火曜日:3月3日、3月31日)、よみうりカルチャー(読売・日本テレビ文化センター)荻窪で下記の一般向けの教養講座を担当します。

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 次回開催は3月3日で、途中参加やお試し見学も可能ですので、ぜひ、お気軽に遊びに来てください。


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