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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 泰国郵便学(35)
2015-02-27 Fri 22:09
 ご報告が遅くなりましたが、財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第49巻第1号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は、1970年の第6回アジア競技大会を中心に取り上げました。その中から、きょうはこんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

       タイ・第6回アジア競技大会局

 これは、1970年の第6回アジア競技大会の会場内郵便局の消印が押された葉書です。左側には、目の形の枠の中に自転車競技を描いたスタンプが押されていますが、このスタンプは、大会で行われた各競技のものが使われました。

 1970年の第6回アジア競技大会は、当初、8月から9月にかけて韓国のソウルで開催の予定でしたが、最終的に、予定を変更して、国王誕生日にあわせて12月9日から20日までの日程で、1966年に第5回大会が開催されたバンコクで開催されました。

 1968年1月21日、朝鮮人民軍(北朝鮮軍)第124部隊第1中隊第1小隊に所属する31名が朴正煕大統領の暗殺を企てて、ソウルの青瓦台(大統領官邸)から800mの地点にある北漢山まで侵入したところ、韓国当局に検問を受け、その場で自動小銃を乱射して逃亡。その後、韓国軍と警察部隊の2週間に及ぶ掃討作戦により、朝鮮人民軍は1名が逮捕、29名が射殺され、1名が自爆し、韓国側は軍人・警察官と巻き添えの民間人の計68名が死亡した。いわゆる青瓦台襲撃事件(韓国側の呼称は1・21事態)です。

 さらに、2日後の1月23日、米国の情報艦プエブロ号が元山沖で北朝鮮の領海を侵犯したとして北朝鮮に拿捕される“プエブロ号事件”が発生します。

 事件の発生後、米国は海軍空母部隊を展開して、逮捕された約80名の乗組員の解放を要求しましたが、北朝鮮は拒否。反対に米国の謝罪を要求しました。当時の米国は、ヴェトナム戦争が拡大し続けていたため朝鮮半島で軍事行動を起こす余裕がなかったことに加え、ソ連が北朝鮮との同盟を理由に軍事行動に踏み切る可能性を捨てきれなかったため、事件の早期解決を図ることを選択。最終的に同年12月23日、板門店での会談で北朝鮮の用意した謝罪文書に署名。乗員は11ヵ月ぶりにようやく解放されました。

 このように、朝鮮半島情勢が緊迫化していく中で、北朝鮮との軍事境界線にも近いソウルでアジア競技大会を開くことにはリスクが大きかったため、韓国は大会の開催を返上。これを受けて、前回の開催国であったタイが、前回大会の時の施設をそのまま利用し、開催費用については韓国ほか参加各国も応分の負担をするという条件で、第6回大会のホスト国を引き受けたのです。

 さて、大会の参加国は、当時の登録名のアルファベット順で、ビルマ(現ミャンマー)、セイロン(現スリランカ)、香港、インド、インドネシア、イラン、イスラエル、日本、クメール共和国(カンボジア)、マレーシア、ネパール、パキスタン、フィリピン、中華民国(台湾)、シンガポール、南朝鮮(韓国)、南ヴェトナムで、アフガニスタンとラオスは選手の派遣はなく、役員のみが参加しました。

 このうち、特に注目すべきはクメール国でしょう。

 カンボジアでは、1960年3月、首相兼外相のシハヌークが、父王の崩御に伴って国王を空位として“国家元首”に就任し、“王制社会主義”と称する東寄りないしはリベラル色の強い開発独裁政策を展開します。その一環として、隣国ヴェトナムでの戦争に関して、シハヌーク政権は、ヴェベトナム解放民族戦線の補給基地や北ヴェトナムから南ヴェトナムへの人員物資補給路であるホーチミンルートの存在を黙認していました。

 このため、米軍と南ヴェトナム軍はカンボジア領内への攻撃を行いましたが、1961年10月、当時のサリット・タナワット政権も、ヴェトナムの共産主義者がカンボジアをタイと南ヴェトナムを攻撃するための拠点として使おうとしており、タイ政府は祖国の安全と名誉を守るための措置を講じると宣言。これに対して、シハヌーク政権もタイの主張は誹謗中傷であり、タイと南ヴェトナムに占領されるくらいなら、ソ連ブロックに加わった方がましだと応じ、両国の外交関係は断絶しました。

 その後、1966年11月25日から12月6日まで、中国の肝いりで、国際オリンピック委員会と対立する“アジア新興国競技大会”がカンボジアの首都プノンペンで開催されたこともあり、タイと断交状態にあったカンボジアは、その直後の12月9日から開催の第5回アジア競技大会には参加しませんでした。

 ところが、1970年3月、カンボジアでは、シハヌークの容共姿勢に対して、米国の支援を受けた首相兼国防相ロン・ノル将軍と副首相シリク・マタク(シハヌークの従兄弟)らがクーデターを敢行。北京に外遊中のシハヌークを国家元首から解任し、王制廃止と共和制施行を宣言。国名は“クメール共和国”と改められます。

 クメール共和国は、シハヌーク時代の外交政策を180度転換し、親西側・反共の姿勢を明確にするとともに、タイとの国交も回復。1970年のアジア競技大会にも参加することになりました。

 さて、大会は新競技のヨットを含む13競技135種目に1802人の選手が参加。メダルの獲得數では、日本が144(内訳は金74、銀47、銅23)で、2位韓国の54(金18、銀13、銅23)を大きく引き離して圧勝。主催国のタイは金9(陸上2、ボクシング2、自転車競技3、ヨット1、射撃1)、銀17、銅13の計39個のメダルを獲得し、日韓に次ぐ3位の成果を収めています。


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