内藤陽介 Yosuke NAITO
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 占領下のバリ
2006-05-28 Sun 17:27
 今日もネットのトップニュースはジャワの地震でした。というわけで、昨日に引き続き、ワシントンで開催中の世界切手展<Washington2006>(昨日、無事に開幕しました)に出品している作品の中からインドネシアがらみのモノとして、こんなモノを引っ張り出してきました。(画像はクリックで拡大されます)

飛行機献納運動

 これは、太平洋戦争中、日本軍占領下のバリ島シンガラジャからジャワ島スラバヤ宛に差し出されたカバー(封筒)で、“戦闘機献納運動”の記念印が押されています。

 1942年1月11日、日本軍はボルネオ島北部のタラカンとセレベス島北部のメナドに上陸。以後、島々の占領を進め、3月20日にオランダ領東インド(蘭印。現インドネシア)全地域の占領を占領下に置きました。

 これを受けて、蘭印地域のうち、スマトラ島とジャワ島をのぞく地域(具体的には、ボルネオ島の旧オランダ領地域、セレベス、モルッカ諸島、小スンダ列島、西ニューギニアなど)は海軍が占領行政を担当することになり、セレベス島のマカッサルに南西方面海軍民政府本部が設置され、その下部組織としての海軍民政部がマカッサル(セレベス島)、バリックパパン(ボルネオ島。後に島内のバンジェルマシンに移転)、アンボン(後にバリ島のシンガラジャに移転)の三ヶ所に設けられ、現地の占領行政を担当することになります。

 こうした海軍の占領地区では、占領当初、おおむね、接収した蘭印の切手に“大日本”の文字と海軍を示す錨を加刷した切手が使われていましたが、1943年8月以降(一部は7月から)、海軍民政府独自の切手が使われるようになります。今日のカバーに貼られている切手は、そうした海軍民政府の切手です。

 さて、満州事変以降、日本国内では国防献金を集めて陸海軍に戦闘機を献納するキャンペーンが断続的に行われていましたが、日本軍占領下のバリでもこのような記念印が使われていたところを見ると、同様の運動が占領地においても行われていたことがわかります。現在ではリゾート地のイメージが強いバリ島ですが、こういう時代もあったのですね。

 なお、記念印では、運動の期間が“昭和19年10月1日から11月31日”となっていますが、まぁ、この辺はご愛嬌でしょう。
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