内藤陽介 Yosuke NAITO
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 岩のドームの郵便学(29)
2015-05-03 Sun 23:59
 『本のメルマガ』571号が先月25日に配信となりました。僕の連載「岩のドームの郵便学」では、今回は、1979年のイスラム革命後のイラン切手に取り上げられた岩のドームの切手として、この切手を取りあげました。(画像はクリックで拡大されます)

         イラン・岩のドーム(1980)

 これは、1980年10月、イランが発行した「エルサレムを解放しよう」とのプロパガンダ切手です。

 1979年2月11日、東西冷戦下の米国の中東政策の拠点となっていたイランで、イスラム革命が起こり、親米パーレビ王制が崩壊。同年3月の国民投票により、イラン・イスラム共和国が発足します。

 発足間もない革命政府(大統領はイスラム・リベラル派のバニサドル)の首班となったバザルカーン暫定政権は、米国との同盟関係を破棄し、イスラエルとも断交。イスラエルの外交使節団には国外退去が命じられ、代わりに、旧イスラエル大使館の建物はPLOの代表部にあてがわれました。

 王制時代、米国はパレスチナ問題の当事者であるアラブにイランが含まれないことに着目し、イランにイスラエルとの外交関係を維持することを要求しつづけました。当然、米国からすれば、この要求はパーレビ体制に対する巨額の援助の見返りとして当然のものであり、イランには(米国の理解では親ソ派の)アラブ民族主義に対抗するペルシア湾の憲兵となることが期待されていました。

 こうした背景ゆえに、革命後のイラン国民にとっては、反米と反イスラエルはごく自然に結び付くものとなります。もちろん、米国の存在を別にしても、イスラエル国家がイスラムの聖地でもあるエルサレムを不法に独占しているという現実(エルサレムは、本来、ユダヤ教・キリスト教・イスラムという三宗教の併存する聖地です)は、イスラム共和国を掲げる革命イランにとって、とうてい許容できるものではありません。革命直後の昂揚した空気の中で、イランがイスラエルと国交断絶に踏み切ったのも、彼らにしてみれば、至極当然のことでした。

 もっとも、パーレビ王制打倒と結び付いたかたちでの反米を掲げて成立した革命政府ではあったが、現実の外交政策においては、当初は、米国との直接敵対することは避け、東西両陣営の存在を前提に、両陣営から等距離を保とうとする穏健路線を模索していたともいわれています。

 しかし、イランのイスラム革命は、反国王という一点のみにおいて各種の勢力が結集された結果達成されたものであり、それゆえ、革命政権内部では、発足早々、主導権をめぐる権力闘争が発生。外交路線はその重要な争点となっていました。

 こうした状況の下、暫定内閣がアルジェリアで米国と接触したことに加え、亡命中の国王が治療を名目に渡米したことで、急進革命派の反米感情は沸騰。1979年11月、国王の身柄引渡しを求めて急進派学生らがテヘランの米国大使館を占拠する事件が発生します。

 この結果、バザルカーン暫定内閣は総辞職に追い込まれ、革命政権は「西でも東でもないイスラム共和国」として既存の世界秩序そのものに挑戦しはじめました。

 なお、この「西でも東でもない」との表現については、若干の補足が必要かもしれません。

 東西冷戦時代、いわゆる非同盟諸国会議など、東西両陣営のいずれにも与することなく自立的な国家建設を行っていこうとする新興諸国は少なからず存在していました。もっとも、これらの新興諸国の多くは反帝国主義を基本にしており、その意味では、植民地主義の象徴・英仏を含む西側諸国から距離を置き、濃淡の差こそあれ、ソ連の支援を受ける事例が少なくありませんでした。

 これに対して、革命イランは、米ソがともに人造イデオロギーに依拠していることじたいを非難しています。いわゆるイスラム原理主義者の理解によれば、正しい統治は神に由来するイスラム法に依拠していなければならないからです。その意味では、共産主義であれ自由主義であれ、さらには反帝国主義であれ、イスラム法に基づかない(すなわち、人間の考案した)人造イデオロギーでしかなく、それゆえ、正統なる政府の理念的支柱にはなり得ません。このため、イスラム法に依拠している(ことになっている)革命イランの体制は、必然的に既存の東西の国家群からは明確に区別されるというのが彼らの主張であり、「西でも東でもない」との表現もそうした文脈に沿ったものといえます。

 さて、「西でも東でもない」ことを標榜し、既存の世界秩序を否定するようになった革命イランは、その当然の帰結として自国の周辺への革命の輸出を国家目標として掲げるようになりました。今回ご紹介の切手も、そうしたぶみゃくに沿って発行されたもので、岩のドームにかけられた鉄条網を引きちぎる手を描き、「エルサレムを解放しよう」との文言の入っています。これは、革命イランが切手上において直接的に他国を批判の対象として取り上げた最初の事例であり、その後、イランが相次いで発行することになる“国際社会への異議申し立て”のプロパガンダ切手の嚆矢となりました。

 これに対して、切手発行前月の1980年9月、隣国イラクがイランの主要な空港を爆撃。国境を超えてイラン領内への侵入を開始し、宣戦布告のないまま、8年にも及ぶ泥沼のイラン・イラク戦争が勃発します。

 イラン・イラク戦争の本質は、イランとの領土問題を抱えていたイラクのサダム・フセイン政権が、革命後のイラン国内の混乱と、革命の波及を恐れる周辺諸国の世論を活用し、“革命の防波堤”を買って出るという形式を取って起こした侵略戦争でしたが、フセイン政権によるイラン侵攻を批難する国際世論はほとんど起こらず、既存の国際秩序に対する不満を募らせたイランは、ますます先鋭化していくという構図が生まれることになるのです。


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