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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 タジキスタン高官、ダーイシュに参加
2015-05-29 Fri 22:49
 中央アジア・タジキスタンで行方不明になっていた同国治安警察のハリモフ司令官がシリアに渡航し、イスラム国を自称する過激派組織のダーイシュに参加したことを、きのう(28日)までにネットを通じて宣言しました。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

       国連タジキスタン監視団カバー

 これは、タジキスタン内戦中の1998年、現地駐留の国連タジキスタン監視団に参加したオーストリアの左官が現地から米国宛に差し出したカバーで、外交後嚢に入れてニューヨークの国連本部まで運ばれ、そこから国連切手を貼って米国内の宛先まで届けられています。

 現在のタジキスタン共和国の領域は、かつて、タジク・ソヴィエト社会主義共和国としてソ連を構成する一共和国でしたが、1990年、ゴルバチョフ政権下の新連邦条約(これにより、ソ連を構成する各主権共和国は独立した共和国として共通の大統領、外交、軍事政策下に連合することになりました)により、主権宣言を行い、同年11月30日、タジキスタン共産党中央委員会第一書記のカハル・マフカモフがタジク・ソヴィエト社会主義共和国の初代大統領に選出されました。

 これに対して、翌1991年8月、モスクワでソ連保守派のクーデターが失敗すると、同月31日、最高会議の代議員たちは、大統領の退任と共産党の解散を主張ちしていた野党と連帯し、マフカモフを退陣に追い込みます。これを受けて、9月9日、タジキスタン共和国の独立が宣言され、11月には、ラフモン・ナビエフ(マフカモフの前任として1985年までタジキスタン共産党中央委員会第一書記)が新生タジキスタン共和国の初代大統領に選出されました。

 ところで、旧ソ連時代のタジク・ソヴィエト社会主義共和国では、ホジェンド(北西部ソグド州の州都)地方やクリャーブ(南部ハトロン州の東部)地方の出身者が政府と軍の要職を占めており、ゴルノ・バダフシャン自治州のパミール人やガルム地方の民族集団、イスラム勢力などは不遇をかこっていましたが、共産党一党独裁の下、彼らの不満は抑え込まれていました。

 それが、新国家の誕生とともに一挙に噴き出すかたちで、1992年春、ナビエフ政権への抗議行動が発生。5月には、政府側の警備兵と反政府勢力の間で戦闘が発生し、いわゆるタジキスタン内戦に突入します。これに対して、ナビエフ政権は野党勢力を取り込んだ連立政権を作ることで乗り切ろうとしましたが、ナビエフくみしやすしと見た反政府勢力の攻撃は収まらず、1992年9月、ナビエフは退陣に追い込まれました。

 その後、混乱の拡大を憂慮したロシアとウズベキスタンが事態収拾に乗り出し、ホジェンド派とクリャーブ派からなる人民戦線を軍事支援。人民戦線は1992年末に反政府勢力を圧倒し、連立政権をも解体して、クリャーブ出身のエマモリ・ラフモノフを最高会議議長(現大統領)とする新政権を樹立しました。なお、大統領の現在の姓は“ラフモン”となっていますが、これは、2007年にそれまでの“ラフモノフ”からロシア語風の接尾辞を取り、タジク語の原型に戻したためです。 

 これに対して、タジキスタン・イスラム復興党(IRP)を組織したイスラム勢力やパミール人、ガルム人などの反政府勢力は抵抗を続けましたが、ラフモノフ政権は、首都ドゥシャンベ南部やクルガン・テッパなどでパミール人やガルム人に対する民族浄化を行うなど強硬姿勢で臨み、1993年3月頃までに、政府側は国土の大半を掌握しました。ただし、大量の難民がアフガニスタンをはじめ周辺諸国に流入。さらに、タジキスタン南部での戦闘はその後も継続されています。

 一方、アフガニスタン国内では、タジキスタンから逃れてきた反政府勢力各派が、アフマド・シャー・マスウードの支援を受けて、統一戦線として、タジク野党連合(UTO)を結成。これを受けて、国連・ロシア・イランの3者が、ラフモノフ政とUTOの仲介に乗り出し、1994年4月、モスクワで最初の和平交渉を実現しました。

 和平の進展を受けて、1994年11月6日、ラフモノフは正式な国家元首としてタジキスタン共和国大統領に就任。さらに、同年12月16日、国連タジク監視団が創設され、停戦状況の監視と状況の報告、人道支援協力、CIS平和維持軍の協力による警備などを行うことになりました。

 その後も、アフガニスタン北部から出撃してきたイスラム過激派が、タジキスタン国内でもロシア軍を相手に戦いを続けましたが、1997年に停戦合意が成立。同年6月27日、モスクワのクレムリンで、タジキスタン大統領のラフモノフ、UTOのサイイド・アブドゥッラー・ヌーリー、ロシア大統領のボリス・エリツィンが和平協定に調印。タジキスタン内戦は、一応、終結しました。

 ただし、その後も散発的な戦闘が続いたほか、治安状況は改善されず、1998年7月には、日本から監視団に派遣されていた秋野豊政務官が任務中に殺害されるという事件も起こっています。なお、監視団の活動終了は、2000年5月15日のことでした。

 さて、今回、ダーイシュへの参加を表明したハリモフは、タジキスタン政府がモスクでの祈りを制限するなどムスリムを弾圧していると非難し、「ISのためなら命をささげる用意がある」と述べているそうです。
 
 内戦終結後のタジキスタンでは、ラフモノフ(2007年以降ラフモン)が今日に至るまで長期政権を維持し続けているわけですが、経済の低迷から抜け出せず、それゆえ、国民の不満を政権が強権的に抑え込むという悪循環が慢性化しています。2011年には反政府勢力の主流派が国内から一掃され、表面的には、国内の治安は安定したものの、2013年の大統領選挙では、野党イスラム復興党が有力な対抗馬として人権活動家の女性を擁立を試みたものの、最終的に、彼女は出馬断念に追い込まれており、国民の不満はかなり鬱積しているようです。

 こうした不満を背景に、2015年3月、ダーイシュに参加したタジク人戦闘員が、今後、タジキスタン国内で戦闘を行うと主張する動画をインターネット上に投稿しており、ハリモフの一件も、そうした文脈に沿ったものといえそうです。いずれにせよ、歴史的背景があるだけに、現在の状況下では、タジキスタンで内戦が再燃する可能性は決して否定できないわけで、隣接するアフガニスタンの情勢とも合わせて、今後の推移に注目しておきたいところです。


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