内藤陽介 Yosuke NAITO
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 沖縄慰霊の日
2015-06-23 Tue 11:09
 きょう(23日)は、沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなむ“沖縄慰霊の日”です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      沖縄戦跡政府立公園

 これは、1971年に米施政権下の沖縄で発行された「政府立公園シリーズ」のうち、“沖縄戦跡政府立公園”の切手で、沖縄戦最後の激戦地となった摩文仁の丘が描かれています。

 1945年5月、米軍の攻撃により、日本の陸軍第32軍総司令部は首里城の地下壕から沖縄本島南端部(島尻)に撤退。その後、島尻では狭隘な地形に敵味方が入り乱れる激しい戦闘が展開されましたが、6月23日、司令官・牛島満中将が摩文仁の司令部壕で自決したことにより日本軍による組織的な抵抗は終了しました。

 米施政権下の琉球政府は、1965年、最後の激戦地となった摩文仁の丘一帯を、今回ご紹介の切手に表示されているように、“沖縄戦跡政府立公園”に指定。その後、1972年の沖縄の祖国復帰に伴い、同公園は“沖縄戦跡国定公園”に指定されました。現在、同公園は、摩文仁地区の沖縄平和祈念公園、糸満市米須霊域(平和祈念公園から2.5km 南西)、ひめゆりの塔(糸満市米須霊域の北)の3地域の計81.3平方キロ(陸域31.27平方キロ、海域50.03平方キロ)から構成されており、多くの慰霊施設・慰霊碑・慰霊塔が設置されています。

 ちなみに、6月23日が“沖縄慰霊の日”となっているのは、牛島中将の自決の日であるというのがひとつの根拠となっていますが、自決の日に関しては、6月22日説と23日説があります。また、現実の問題として、1945年6月23日以降も沖縄ではゲリラ戦が続き、多くの人々が犠牲になりました。それゆえ、米軍の沖縄戦終了宣言がなされたのは7月2日ですし、日米両軍の司令官が沖縄で公式に降伏文書の調印をおこなったのは9月7日(本土より1週間遅れ)です。このため、沖縄県の施設である“平和の礎”では、沖縄戦の期間を「昭和20(1945)年3月23日から、9月7日」としています。さらに、1961年に当時の琉球政府が“慰霊の日”を定めた際、当初の日付は6月22日でした。

 ところが、1965年、突如、“慰霊の日”の日付は、現在の6月23日に変更され、それがそのまま定着することになりました。一説によると、6月23日は日本本土の反安保デー(1960年の新安保条約批准書交換の日)だったことから、本土の左翼勢力が圧力をかけ、“反米”の観点から、これにあわせて“慰霊の日”を変更させたともいわれています。その真偽のほどは定かではありませんが、たしかに、唐突な日程の変更というのは、いろいろな憶測を呼ぶでしょうな。
 

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