内藤陽介 Yosuke NAITO
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 紀念八一五
2015-08-15 Sat 14:24
 きょう(15日)は終戦の日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      斉斉哈爾地図票(八一五)

 これは、1946年8月15日、中国共産党(中共)支配下の東北・西満区で発行された切手で、中国地図と独立・和平・民主の文字を描く切手に、“紀念 八一五”の文字が加刷されています。

 大戦末期の1945年4月、中共七全大会(中国共産党第七次全国代表大会)で中央委員会主席に就任した毛沢東は「もし、我々が全ての根拠地を失っても、東北(満洲)さえ確保できれば、それで中国革命の基礎を築くことができる」と発言。ソ連軍の満洲侵攻翌日の8月10日には、すぐさま東北の占領を各地の中共軍に指令しています。

 じっさい、日本が降伏した時点で、長江上流の内陸の地・重慶を拠点としていた国民政府(国府)に対して、華北の地にも抗日根拠地という名の“解放区”を設けていた中共には、東北の接収という点に関して圧倒的に地の利がありました。また、東北に進駐していたソ連占領軍も、国府と結んだ中ソ友好同盟条約では「満洲における国府の完全な主権の保持とソ連の優先的利益の擁護」を謳っていましたが、中共軍の東北進駐を黙認します。

 このため、1945年11月3日、東北接収のために国府軍第52軍の輸送船団が営口沖に到着したとき、中共側はすでに営口を占領していたばかりでなく、遼寧省を中心とする地域に約30万人、吉林省及び黒龍江省を中心とする地域に約15万人の部隊を集結させていました。このため、国府軍は11月16日に山海関を占領。そこから、葫蘆島、錦州、古北口、朝陽へと前進します。これに対して、中共側も営口、安東、洮南、吉林をはじめ南満洲一帯に進駐するなど、東北接収をめぐる国境両軍のつばぜり合いは激しさを増していきました。

 これに対して、東西冷戦が進行していく中で、中共の東北進駐が米英との摩擦を増大させ、軍事衝突の危機さえ招きかねないことを危惧したソ連は、しだいに中共と距離を置き、国府と妥協して東北の経済権益を国府との共同経営にゆだねることを模索するようになります。1945年11月19日、ソ連軍が中共軍の林彪らに通知して、長春(満洲国の崩壊に伴い、新京から旧称に復す)の鉄道沿線と長春市内を国府軍に譲り、一時鉄道沿線から地方へと撤退。さらに、ほぼ時を同じくして、米国も国府に対する軍事支援を強めつつも、国府と中共との調停工作に乗り出しました。

 この結果、1946年1月10日、国共両軍は一時的に停戦にこぎつけるのですが、2月上旬には早くも両軍の戦闘が再開。そして、3月10日にソ連軍が瀋陽を撤退し、4月14日に旅大地区を除く全東北から撤退すると、東北を舞台に国交内戦が本格化していくことになります。

 この間、国府と中共のそれぞれの支配地域では別々の切手が使われていました。このうち、中共支配下の各地では、1946年10月1日、東北解放区全体の郵政を統括する機関として哈爾浜に東北郵電管理総局が成立するまで、各地で暫定的な切手が発行・使用されていました。

 今回ご紹介の切手もそのうちの1枚で、斉斉哈爾の印刷所で製造されたモノです。今回ご紹介の加刷切手と無加刷の台切手はいずれも、“八一五”1周年にあわせて、1946年8月15日に発行されました。当時の中国の正統政権である国府にとっての対日戦勝記念日は降伏文書が調印された9月2日ですが、終戦まで満洲国の支配下に置かれていた東北では、日本同様、昭和天皇の玉音放送の日である8月15日が"終戦の日”という感覚が一般的だったのかもしれません。

 ところで、日本語では一般に“記念”と書くところを、中国では“紀念”と表記するのが一般的で、この切手でも加刷の文字は“紀念 八一五”となっています。

 “記念”の語は、唐代初期の張文成の作とされる『遊仙窟』にも「下官瞿然破愁成笑、遂喚奴曲琴取相思枕、留與十娘以為記念」との用例がありますが、“紀念”の用例は古典には見られません。ちなみに、『遊仙窟』などにみられる“記念”の語は「後の思い出にする、かたみ」の意味ですが、Commemorative Stamps の訳語としては“かたみ”というのは不自然ということで、わが国でも、昭和初期までの切手や消印では“紀念”の表記が使われていました。ところが、古典のテキストに用例がないことを理由に、『大漢和辞典』が“紀念”は“記念”の誤りとしたことから、その後の国語辞典では“記念”の表記に統一され、1928年の昭和大礼の切手以降、“記念(切手)”の表示が定着しました。

 これに対して、中国では、おそらく、和製漢語の一種として“紀念”がもたらされた後、それがそのまま定着して現在にいたっています。この点については、記と紀の使い分けについて、“記”が単発的な出来事の単純な記録等に用いるのに対して、“紀”は糸偏の意味が付されて、連続的で途切れ目がない物・事を(現在の視点から)伝承する場合に使うというニュアンスがあるのだそうです。(出典はこちら

 この説明によると、日本でいう“記念館”が歴史的資料などを、純粋な資料としてそのまま展示する施設であるのに対して、中国の“紀念館”が(時として政治的な)ある種の意図をもって資料を展示する施設という違いになるのですが、なるほど、そう考えると、かの地に数多ある“抗日紀念館”というのも、その性質をよく表しているわけですな。
 
 なお、この切手を含む、満洲・東北の近現代史と切手・郵便とのつながりについては、拙著『満洲切手』でも詳しくまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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